GW長崎旅行の2日目は、朝からドップリと雨。。
この日のメインは原爆資料館の見学ですから、屋根アリで良かったです。
原爆資料館を見学する目的ですか?
未来ある長男坊・マナムスメの二人には、核兵器が使われたらどうなるのかを、
キッチリと見ておいてほしいと思ったからです。
2018年には広島平和記念資料館も見学させています。
これは、長崎市周辺のジオラマです。
中央当たりがウニャウニャっとしているのは、
まさに原爆が爆発した瞬間を表しているんです。
この直後に続いた爆風、放射能の飛散などなど、時系列で表示される仕組みでした。
原爆の投下地点は計画からズレたそうでして、、、、
浦上天主堂の近く、長崎県立長崎中学校の上空500mで爆発。。
このあたりには軍事施設など全くなく、、
民家ばかりが集中していたのだそうです。
これが、投下された原爆の原寸大の模型。
コードネームは「ファットマン」。
重さ4,5トンのプルトニウム爆弾で、、、、
広島に投下されたウラン型爆弾のリトルボーイよりも、
TNT火薬換算では1.3倍ほど強力だったそうです。
ファットマンの断面模型です。
真ん中のオレンジ色なのがプルトニウム。
それを効率よく爆発させる為に、アレやコレやで取り囲んでいるんですって。
詳しい事は判りませんですけれど、、、
なんともイヤな研究の成果ですね。。。
当人たちは、一生懸命だったんでしょうけれど。。
被爆した品々が展示されていました。
くっついてしまったガラス瓶、黒焦げの弁当箱、
変形してしまった瓦などなど。。。
そういったモノがこんな状態となる場所で、
ニンゲンが助かる訳が無いぢゃないですか!
爆発してアタマがチリチリになっても、次のシーンでは元通り、、、
そんなのはアニメだけのハナシです。
これは、熱戦で溶けたガラス瓶ですが、
それを手で触れるように展示されていました。
アタリマエですが、まさにガラスの手触りです。
中身はビールなのかサイダーだったのか、、、、
1945年8月9日11時1分までは、美味しそうな飲み物だったんでしょうね。。
広島の原爆ドームの模型がありました。
長崎には、このような大規模な原爆遺構は残っていませんですけれど、
ぜひぜひ資料館を訪問し、アレコレ実物を見てくださいませ。
入場料は200円。高校生以下は無料です。
原爆資料館から、その足で平和記念公園まで足を運びました。
これは、その途中にある「平和の母子像」。
見ていて、とってもセツナくなるデザインではありますけれど、
これが現実。。目を背けてはいけないのでしょうね。
ワタクシ、お花畑理論で平和が守れるとは思っていませんですが、
いかなる主義主張であっても、こういう事だけは繰り返してはなりません。
ここは平和記念公園の手前にある、「爆心地公園」です。
中央の黒い柱が、「原子爆弾落下中心地碑」。
この上空500mで爆発したのですね。。
爆心地の松山町で生存したのは、たった1名。
2026年現在で90歳になられる黒川幸子さんです。
空襲警報は出ていなかったのに、たまたま防空壕に入って助かったそうです。
次に爆心地の近くにいた生存者は500m先に居たそうですので、
ホントに奇跡だったのでしょう。
リッパなエスカレータを昇り、、平和公園に。
平和の泉という池、そして噴水です。
原爆被害者が、水を欲しがりながら亡くなったと言われ、
それを伝え残す為のモニュメントだそうです。
その奥に、、例の像が見えていますね。。。
例の像とは、もちろんコレ。平和記念像です。
長崎の原爆関連のモニュメントとしては、もっとも有名に思えます。
像の高さは9.7m。天を差す右手は爆心地を示し、
横に開いた左手は、平和を示しているんですって。
この像のモデルは、1954年のアジア大会で日本選手団の旗手を務めた
重量挙げ選手の吉田廣一さんだと言われているそうです。
裏側から眺めた平和記念像。
台座に扉がありますけれど、果たしてその中はどうなっているのでしょう。
平和記念像は、学生時代のボンビー旅の際にも立ち寄っていますが、
その際のエピソードなどは思い出せません。。
見学の後、どこかで ちゃんぽんを食べたのはマチガイないのですが。。。
次の目的地は、浦上天主堂。
平和記念像からは600m、徒歩9分ほどの距離でしたけれど、
けっこう気合の入った雨でしたので、、、
いったん原爆資料館の駐車場に戻り、クルマで向かい、、、
ココが天主堂の入口。その目の前のコインPに停めました。
堂々たる構えの、浦上天主堂。。。
原爆で崩壊しましたから、もちろんコレは再建されたものです。
天主堂の中に、被爆前を忍ぶものはありませんですけれど、
ガレキの中から発掘された、マリアさまの頭部が展示されていました。
正直、、、ちょっとブキミです。。
別棟で、「原爆遺物展示室」があったものの、なぜかこの日は休館。。
天主堂見学は、ちょっと拍子抜けでした。
なお、、、これが崩壊前と崩壊後の、浦上天主堂の模型です。
原爆資料館の中にありました。
こうして見ますと、、
広島の原爆ドームのように、そのまま残せる状態では無いですね。。
なお、、↑の「原子爆弾落下中心地碑」の写真の中で、
右端に写っている塔のようなものは、
浦上天主堂の残骸の壁面の一部を移設したものだそうです。
天主堂の敷地内に、ショーゲキ的なものが残されていました。
コレがソレ。
天主堂の屋根の頭頂部に乗っかっていたドーム、、、、
爆風によって脱落、落下した「鐘楼」の現物です。
手前がテッペンですね。
内側から見ると、こんな感じ。。
この中に、鐘が入っていた訳ですよ。
浦上天主堂は1879年に小聖堂としてオープンし、、
1895年に大聖堂が起工し、1914年に完成。
追っかけで、この鐘楼が取り付けられたのは1925年。
レンガ造りの天主堂としては、東洋一の規模だったそうです。
原爆による崩壊は1945年なので、わずか20年の命だったとわ。。。
原爆関連の見学は、これまで。
レンタカーで天主堂を後にしました。
向かうのは、この旅の目的地の一つである島。
長崎港には、大きな船の姿も見えてきました。
船の名は「イースタン・ビーナス」。
総トン数は26,518トンで、クルーズ船にしては小型な部類です。
韓国籍の船ですけれど、かつては「ぱしふぃっくびいなす」と名乗る日本船で、
国内クルーズに使われていました。
コロナ過でクルーズ船の乗客が激減し、、、2023に韓国にの会社に売却。。。
で、その船でどこに行くのかですって?
乗りません。。。。。たまたま目に入っただけです。
マギラワシくてゴメンなさい。。
そもそも、長崎港は通りすがっただけで、、、船には乗らないんです。。。
船には乗らずに、、、橋を渡りました。
我らが目指す島は、この橋で九州本土と結ばれ、、、
クルマで上陸できるんです。
渡る島の名は、、、、伊王島。
どんな島なのか、、、、、
続きは、風の吹く朝に。。。。
あ、、、もう昼です。
そして風が吹くどころか、、、嵐みたいです。。。。
長崎原爆資料館・長崎市平和会館 公式サイト:
この記事へのコメント
山ちゃん
長崎旅行の二つ目の目的は原爆資料館と平和記念公園でしたか。自分も含めて戦争を知らない世代ですが、お子さん達には核兵器の恐ろしさ教えておかれるのは大変大事なことで、おぎひまさん家の教育に頭が下がる思いで拝見させて頂きました。
おぎひま
今や戦争の映像もゲーム感覚。。。
それでは痛みが伝わって来ませんですよ。
こういう事実を知っておかないと、次の時代を任せられません。
ぜひぜひ、思い知って欲しいです。