ついに宗谷岬に到達!! したものの、、、
その寒さにクジケきったワタクシ。。。。
最北端の地ですから、そこからは南下するしか道が無い訳ですけれど、、
寒さにくじけ、、日に日に走行距離を縮めながら、、、、
いざるように本土を目指すのでした。。
ずいぶん前のハナシですので、交通機関や道路事情、観光地の様子など、
今とはずいぶん状況が違っていると思われます。
なので、観光情報としてはご利用いただけません。
当時の写真は残っておらず、、、文中の写真は全てイメージです。。。
原文ママです。。書きなぐりの駄文です。。。
【解説】の部分は書き下ろしです。
=======以下、本文============
稚内のYH、午後3時の到着である。もうこれ以上は走る気がしない。
速攻で風呂に入り、やっと人間界に復帰した気分になる。
「あれ?別人になったじゃん!!」
などと同宿者にひやかされるほど、凍り付き強ばった顔をしていたのだろうか。
やがて、典型的なYHといった感じの夕飯の光景。
あれ?あそこに座っている姐さんは!!!。
そう、夕べのYHで、共にジンギスカンを囲んだ姐さんではないか!!。
「あら!また会ったわね。今日はヒッチハイクでここまで来ちゃった!!」
何ともたくましい姐さん、その行動力は国内だけにとどまらないとの事。
何カ国も訪ね歩く旅を重ねるうちに、ふいに北海道が恋しくなったと笑う。
姐さん曰く
「YHに一人で泊まる年齢か?」
的な視線をヒシヒシと感じるらしい。
こういった生き方をする女性に対する偏見は少なくないのかも知れないけれど、
「あれ?別人になったじゃん!!」
などと同宿者にひやかされるほど、凍り付き強ばった顔をしていたのだろうか。
やがて、典型的なYHといった感じの夕飯の光景。
あれ?あそこに座っている姐さんは!!!。
そう、夕べのYHで、共にジンギスカンを囲んだ姐さんではないか!!。
「あら!また会ったわね。今日はヒッチハイクでここまで来ちゃった!!」
何ともたくましい姐さん、その行動力は国内だけにとどまらないとの事。
何カ国も訪ね歩く旅を重ねるうちに、ふいに北海道が恋しくなったと笑う。
姐さん曰く
「YHに一人で泊まる年齢か?」
的な視線をヒシヒシと感じるらしい。
こういった生き方をする女性に対する偏見は少なくないのかも知れないけれど、
なんともカッコイイ姐さんではないか!!
【解説】
泊ったのは、稚内モシリパユースホステル。
数年前にYHとしては閉館し、ゲストハウスモシリパという宿になっている模様です。
初めて宗谷岬を訪れた際に泊った稚内ユースホステルも、ずいぶん前に閉館してしまいました。
(後に、こまどりハウスというYHが改名して稚内YHを名乗りましたが、ソレとは別物で、
その2代目の稚内YHも、今は閉館しています。
ワタクシが泊まった稚内YHは、別名が「カレーハウス」。。
晩メシは、毎日カレーライスだったんです。
カレー自体は美味しかったので良いですけれど、、、、
辛いものが苦手なヒトや、連泊するヒトはキツいですね。。
また、、、館内放送で宿泊者が集められ、何かと思ったら、、、、
隻腕のお土産売りおじさんが待ち構えていまして、、、それもキツかったです。。
【ここまで】

最北端の街で迎える朝、今日も冷え込んだ曇り空。
もう北上すべき道は無く、今度はひたすら南下を開始する。
ときおり小雪が舞い落ちるサロベツ原野を抜け、ちょっぴり寄り道し(というには、かなりの距離が有るけれど)、
もう北上すべき道は無く、今度はひたすら南下を開始する。
ときおり小雪が舞い落ちるサロベツ原野を抜け、ちょっぴり寄り道し(というには、かなりの距離が有るけれど)、
晴れたり吹雪いたり(?)の霧立峠を越える。
国道脇の雪を割って咲いている水芭蕉を眺め、朱鞠内湖まで往復。
さすがに5月の日差しは頼もしく、路面の雪はあっという間に湯気となって消える。
国道脇の雪を割って咲いている水芭蕉を眺め、朱鞠内湖まで往復。
さすがに5月の日差しは頼もしく、路面の雪はあっという間に湯気となって消える。
【解説】
朱鞠内湖は、日本最大の人造湖。
名勝地と言うほどのものでは無いものの、、
何も無さでは日本一かもしれません。全くの原野です。。
湖畔のキャンプ場では、見てはいけないモノが出没すると囁かれていました。
【ココまで】
ここ数日、16時前のYH入りが定着してしまっている。
今日もご多分に漏れず、早々と、日本海を望むYHに飛び込む。
あまりこの季節に宿泊者が多いとは思えない地域なのに、予想に反して賑わっているではないか!!
と思ったら、どうやら今日は常連達が集まる日らしい。
ライダーは他に誰も居ない。
内輪的な話題について行けずに一人で風呂へ。
風呂の窓から、巨大リュックを背負ったモンキーが、YHを目指して走ってくるのが見える。
本日2台目のバイクだぁ!!
仲良くしようぜぇ!!!
やはり冷え切っていたのであろうか、荷物を降ろすや否や、速攻で風呂に飛び込んで来る。
「あ~!!生き返りますわ!!!」
「寒かったでしょ?」
「肩に鉄が入ってる気分ですねん。それに、死ぬほど眠いですわ!」
寒さだけでは無かったらしい。
キャリアの無いモンキー、全ての荷物を背負ったままで、大坂からひたすら走って日本海添いに北上!!
青森・函館間だけフェリーで眠り、降りてからここまで再び走りっぱなしだったそうな!!!。
彼もここの常連だそうだけど、一泊しただけで再び同じコースを同じ走りで大阪まで帰るとのこと!!
すごすぎるぅ!!!
今日もご多分に漏れず、早々と、日本海を望むYHに飛び込む。
あまりこの季節に宿泊者が多いとは思えない地域なのに、予想に反して賑わっているではないか!!
と思ったら、どうやら今日は常連達が集まる日らしい。
ライダーは他に誰も居ない。
内輪的な話題について行けずに一人で風呂へ。
風呂の窓から、巨大リュックを背負ったモンキーが、YHを目指して走ってくるのが見える。
本日2台目のバイクだぁ!!
仲良くしようぜぇ!!!
やはり冷え切っていたのであろうか、荷物を降ろすや否や、速攻で風呂に飛び込んで来る。
「あ~!!生き返りますわ!!!」
「寒かったでしょ?」
「肩に鉄が入ってる気分ですねん。それに、死ぬほど眠いですわ!」
寒さだけでは無かったらしい。
キャリアの無いモンキー、全ての荷物を背負ったままで、大坂からひたすら走って日本海添いに北上!!
青森・函館間だけフェリーで眠り、降りてからここまで再び走りっぱなしだったそうな!!!。
彼もここの常連だそうだけど、一泊しただけで再び同じコースを同じ走りで大阪まで帰るとのこと!!
すごすぎるぅ!!!
【解説】
泊ったのは、小平町の「小平町立望洋台ユースホステル」。
海の近くの丘の上にある、キモチ良いYHでした。
1995年に閉館し、、、今は建物も存在しません。
このYHには、ココでの出会いで繋がった強い絆があるらしく、
「小平YH同窓会」的な集まりの話がネット上で散見します。
この日に集まっていたのも、まさにソレだったのでしょうね。
でも、、イチゲンであるワタクシを排除するような雰囲気では無かったですよ。
【ここまで】
風呂から出ると、またまた姐さんが居るではないか!!
今日もヒッチハイクで南下してきたそうだ。
結局常連では無いのは我々二人だけ。
常連達の懐かしがりトークの輪から離れて旅談議などで盛り上りながらも、
今日もヒッチハイクで南下してきたそうだ。
結局常連では無いのは我々二人だけ。
常連達の懐かしがりトークの輪から離れて旅談議などで盛り上りながらも、
シッカリと常連様のごしょうばんに預かり、本日のみの特別メニュー『手巻き寿司』を頂く。
【解説】
かつて、小平には鉄道が走っていました。
留萌と幌延を結ぶ羽幌線で、日本海に沿って走る全長141kmの長大な路線でした。
1987年の廃止ですので、この旅の4年前。
この路線の廃止が、小平YHの運命を左右したのかもしれません。。
結果的に、、、、塩狩、稚内、小平と3泊を一緒に過ごした姐さん。。
当時で何歳ぐらいだったのか、ハッキリと覚えていません。
今でも旅を楽しんでいられるのかどうか判りませんですが、
シヤワセに暮らしている事を願うばかりでございます。
【ここまで】
朝、留萌行きのバスにのる姐さんを見送り、本格的に南下を開始!!
あとはひたすら帰るだけなのだ。
「ひたすら」と言っても2泊3日の予定なので、大阪モンキーが聞いたら笑う、というよりウラヤマシがるであろうか。
あとはひたすら帰るだけなのだ。
「ひたすら」と言っても2泊3日の予定なので、大阪モンキーが聞いたら笑う、というよりウラヤマシがるであろうか。
【解説】
原文からは思いっきり割愛されていますけれど、そのあたりの行動を残しておきます。
小平からは日本海沿いに南下し、留萌、増毛を通過して雄冬に。
札幌から留萌まで海沿いに結ぶR231の、雄冬一帯はずぅぅっと未開通区間で、、、
雄冬は、船で行き来するしかない陸の孤島だったんです。
国道が全通したのは1981年ですから、このツーリングの10年前。。
まだまだ出来立てのホヤホヤだったんですよ。
いつまでも開通できなかったという事は、それだけ険しい地形な訳ですね。
実際に走ってみると、海沿いの絶壁から落ちる滝の真横を走ったりしまして、
まさに知床感覚の道でした。
ワタクシがバイクで知床を走るのは、2年後の事になりますが。。
R231を通り抜け、石狩、小樽、余市の街を抜けたワタクシは、積丹半島に入りました。
その先端、神威岬まで進むと、、当時のR229はソコから先の積丹半島西岸は未開通区間。
古平まで戻り、山越えの道道で繋いだんです。
その峠には雪が残っていまして、、またまたヒヤヒヤな走行となったんです。
テッペンのトーマル峠の標高は610m。
もう(オンロードバイクでは)二度と通りたくありません。。
岩内を通過して倶知安の街へ。
この日は倶知安にあった「ニセコユースホステル」に泊りました。
海外客からも大人気のニセコには、今現在YHが2軒ある模様ですが、
当時のニセコYHは別物で、1995年に閉館しています。
正直、、、殆ど記憶に残っていないほどオモシロミも何もないYHで、
メシの提供も無し。。
倶知安駅まで出向き、駅弁のカニめしを買ってきて食べました。
覚えているのは、、ホンっとにそれだけです。。
【ここまで】

眺める海は日本海から太平洋に変わり、上陸時にはあれほど旅情を感じたのに、
今は一地方都市にしか見えない函館に到着、野辺地行きのフェリーに乗る。
たまたま丁度良いタイミングだったから乗った船だけど、青森行きに比べたらちっぽけな船!!大荒れの津軽海峡で木の葉の様に揺られ、デッキから遠ざかる北海道を眺めるどころでは無い。
大きく揺れる度に、狭い船内に響く叫び声。
ドドーン!!
「おおっ!!」
ドドーン!!
「おおっ!!」
船室の左右の窓から、海と空が入替わり立ち代わり見える。
本州再上陸は、まるで漁港の様なちっぽけな港であった。
【解説】
野辺地・函館間にフェリーが航行しているとは知りませんでしたけれど、
函館港の東日本フェリーのターミナルに着いたら、たまたま次の便が野辺地行き。
なので、深い事を考えずに そのまま乗船しました。
1200トンクラスの第二室蘭丸だったかもしれません。
現在、青森・函館間を運航している津軽海峡フェリーの船は8000トン級、、
同じ航路を運航する青函フェリーでも3000トン級、、
後に我が家が家族旅行で乗った、津軽海峡フェリーの小型船「えさん2000」」でも2300トンありましたから、
その半分ぐらいですね。ホンットに激しく揺れました。
他の乗船客が次々とトイレに消えるのを横目に見ながらカップ麺を喰らうワタクシ。
それも一苦労なんですよ。体が浮いちゃいますし。
なお、、、この航路は1994年に休止し、そのまま廃止になりました。。
↓は、第二室蘭丸の絵葉書です。
【ここまで】
ヘロヘロになって、三沢のYHに泊まる事に。
夕食後のひととき。
何となく、北海道で出会った人々とは人種の違いを感じながら、
夕食後のひととき。
何となく、北海道で出会った人々とは人種の違いを感じながら、
東北を旅するおねえちゃん達とトランプをして過す。
唐突に一人が、
「ねえ!そろそろよぉ!!外に出ましょう!!」
何が何だか訳が判らないまま、表に引きずり出される。
暗闇の中、数百メートル先を、長い編成の夜行列車が走りぬけていくのが見える。
遮る物も無く、いつまでも連なりながら移動していく灯り。
最後の一点になるまで列車を見送りながら
「どぉ?どぉ?『銀河鉄道の夜』ってこんな感じでしょ?ねえ、素敵じゃない?」
そうか、北海道の北の大地から、東北・童話の世界に来たんだなぁ……
唐突に一人が、
「ねえ!そろそろよぉ!!外に出ましょう!!」
何が何だか訳が判らないまま、表に引きずり出される。
暗闇の中、数百メートル先を、長い編成の夜行列車が走りぬけていくのが見える。
遮る物も無く、いつまでも連なりながら移動していく灯り。
最後の一点になるまで列車を見送りながら
「どぉ?どぉ?『銀河鉄道の夜』ってこんな感じでしょ?ねえ、素敵じゃない?」
そうか、北海道の北の大地から、東北・童話の世界に来たんだなぁ……
【解説】
このYHは、三沢市の「カワヨグリーンユースホステル」です。
牧場内にあるYHで、珍しく今でも現役ですよ!!
この旅では8軒のYHに泊まりましたけれど、、、
今でも営業しているのはココと摩周湖YHだけです。
おねぇちゃんが列車の灯を銀河鉄道に例えたのは大いにオドロキでしたけれど、、、
ワタクシは、同じ銀河鉄道でも銀河鉄道999を思い浮かべてしまいました。
やっぱりメルヘンぢょしと無粋なオトコでは、同じ景色でも見る夢が違うのでしょう。。
【ここまで】
桜前線とすれ違い、無限に続く様な東北道の南下。
福島あたりでさえ、もうご近所まで戻ってきた様な気さえする。
そう言う意味では、既に庭先の様な佐野SAで一休み。
そこへ……
あれ?あの姿は!!!
おおっ!!行きの青森→函館フェリーで一緒だった、職人風兄ちゃんのセローではないか!!!!!
でも、なんかバイクの形がヘンだぞぉ??
よくよく見ると…
フロントフェンダーが無い!!
正確に言えば、殆ど根元から折れている!!。
「よぉ!!久しぶりぃ!!北海道はどうだったぁ? えっ?フェンダー?
福島あたりでさえ、もうご近所まで戻ってきた様な気さえする。
そう言う意味では、既に庭先の様な佐野SAで一休み。
そこへ……
あれ?あの姿は!!!
おおっ!!行きの青森→函館フェリーで一緒だった、職人風兄ちゃんのセローではないか!!!!!
でも、なんかバイクの形がヘンだぞぉ??
よくよく見ると…
フロントフェンダーが無い!!
正確に言えば、殆ど根元から折れている!!。
「よぉ!!久しぶりぃ!!北海道はどうだったぁ? えっ?フェンダー?
そうそう。雪ん中で寒くて眠れなくてよう、イネムリ運転でカマ掘っちまった!ガハハハハ!!」
どういうツモリか、折れたフロントフェンダーを背負ったまま笑う職人風兄ちゃん。
どういうツモリか、折れたフロントフェンダーを背負ったまま笑う職人風兄ちゃん。
延々と走り続けて到着した佐野SA。
あたりには既に北海道を思い出させる物など何も無いけれど、
あたりには既に北海道を思い出させる物など何も無いけれど、
唐突に北海道の風を運び込んできた職人風兄ちゃん。
この兄ちゃんを始め、あちこちで出会ったツワモノ達や様々な出来事。
色々と勇気付けられ、そして自信を持つ事が出来た日々が再び鮮明に蘇る。
こうして、初めての北海道ツーリングが終ろうとしていた。
この兄ちゃんを始め、あちこちで出会ったツワモノ達や様々な出来事。
色々と勇気付けられ、そして自信を持つ事が出来た日々が再び鮮明に蘇る。
こうして、初めての北海道ツーリングが終ろうとしていた。
【解説】
フロントフェンダーとは、前輪を上から覆っている泥除けですね。
オフロードバイクでソレが付いていないと、、なんともマヌケな容姿なんですよ。
とにかく、、、、
この旅でロングツーリングのオタノシミを知ったワタクシは、、
これ以降に北海道に7回、、四国に5回、九州に5回、バイクで渡る事になりました。
カミさんと出会ったのは、九州からの帰りのフェリーでしたとさ。
めでたしめでたし。。
【ここまで】
宗谷岬から稚内、朱鞠内湖、小平へ。
小平から雄冬、神威崎、倶知安へ。
倶知安から函館へ。
野辺地から三沢、東京へ。
この記事へのコメント
凡・ハヤト
カニメシのお弁当、綺麗でとっても美味しそうです!^^
narayama2008
私が小樽から北海道に上陸して、ひたすら海沿いに車を飛ばして最初に泊まったのが稚内モシリパYHでした。
小樽から稚内、結構な距離があったのを覚えています(^^;
YHとしては閉館しちゃったのですね。
カワヨグリーンYHでは長い編成の夜行列車が見れて、それがまさに銀河鉄道なんですね。もっとも今は長い編成の夜行列車も運転されていないので、銀河鉄道も見れなくなったかも知れないですね。
おぎひま
このカニ飯はネットで拾った画像ですけれど、
ワタクシが食べたのも、こういう感じだったと思います。
高級弁当では無かったので、もっと質素だったかもです。。。
ゆけむり
バイクで北海道も楽しそうですね
羨ましいです
ちなみに全行程何日で、総走行距離は何kmぐらいだったんでしょうか?
おぎひま
小樽からイッキに稚内まで行かれましたか。
ワタクシどもが乗る新潟発は小樽が早朝着なので、
けっこう遠くまで移動できるんです。
関西からの便は何時着なのでしょうかね。
オロロンラインは、ホントに何も無さが良いと思います。
おぎひま
往復陸送は、この時だけです。
結構時間もカネも掛かりますし、疲れますし。。
そして、北海道の場合は結局どこかでフェリーに乗る事になりますし。。
陸送は、フェリーの予約が取れなかった時の最終手段ですね。
日程ですか? それはその時々で違いますが、
北海道の場合は、最低1週間は休めないと行きません。勿体なくて。
最長は14日間ぐらい。有休をつけまくりです。
距離は気にしないので、計算した事がありません。
それでは答えになりませんですので、今回のは計算してみました。
8泊9日と短めでで、、、3709Kmでした。