家族で年末年始を過ごした志賀高原からの帰り、、、、
上信越道に乗ってすぐ、長野県内のトンネルの中を走行中に、
全員のスマホから一斉に耳障りな警報音が鳴ったんです。
2024年1月1日16時10分、、、
能登半島地震の一番最初の緊急地震速報でした。
このまま走り続けるべきか、止まるべきか、、でもトンネルは出なきゃ。。。
ラジオのダイヤルをニュースに合わせると、、、東日本大震災以来の大津波警報。
そして数分おきに発令される緊急地震速報、、
「ただちに非難する事!!」命令口調のアナウンサー、、、
もう異常としか言えない状況でした。
能登半島地震に被災された方々、、、心からお悔やみを申し上げます。
まだまだ災害の真っただ中で、これからも長い道のりが続きましょうけれど、
関西、淡路、三陸、熊本、、完ぺきとは言えなくても、ここまで来ました。
全国民で応援し、、今回の被災地の一日も早い復興をお祈りします。
ワタクシ、能登半島は大いにオキニイリでして、
初めての長旅は、学生時代に訪れた能登半島。
バスに乗り遅れてヒッチハイクをしたり、、ドタバタが懐かしいです。
そのあたりの様子の過去記事はコチラです。
セピア色の能登半島【1】北陸・断崖絶壁めぐりの旅。。
トォちゃんのセーシュンひとり旅【1】青春の能登半島・ブログ版
その後には、バイクでの一人旅や、カミさんと長男坊を連れての家族旅行でも訪れています。
上記リンクの中に、舳倉島から帰れなくなったハナシがありますが、
どうにか輪島まで戻って来た後の、、続編を書いてみようかと思います。
メインサイトでも公開していないハナシです。
輪島港から輪島駅に移動し、七尾線で穴水駅に。
ソコからは、今は無き能登線に乗り換えて、宇出津(うしつ)駅に向かいました。
この日の宿、、奥能登ユースホステルに向かう為です。(すでに閉館)
ユースホステルは海を見下ろす丘の上に位置しまして、、
夕方、富山湾を挟んで北アルプスの山々のシルエットが見えました。
山には雲が掛かっているようには見えないのに、
ときどき、稲妻が走るんですよ。音も無い状態で。
それが何とも神秘的、、幻想的な光景でして、、、
同宿の若い白人カップル、、レオナルド(仮名)とソフィア(仮名)が、
「まるでエーゲ海のようだ」とコーフンしていました。
ユースホステルのスタッフから
「祭りに参加したらどうだ」
なんて案内がありまして、
我ら宿泊者は、レオナルドやソフィア(共に仮名)も含めて、ゾロゾロと向かいました。
後で知ったのですが、能登半島の各地で行われる「能登キリコ祭り」という催しですね。
それを目的に来た訳ではありませんので、ラッキーと言えばラッキーです。
祭りのメインは、キリコという木製の灯篭を、神輿のように担ぐんです。
我らユースホステル組も、次々と担ぎ手に駆り出されました。
本格的に担ぎ手を任されたと言うよりも、旅人に少しばかり経験させてくれたという感じでしょうか。
その場で置ける台つきな構造なので、担ぎっぱなしの神輿ほどキツくなかったように記憶しています。
今、キリコの写真を見ると、、、記憶の中のソレは、もっと小さかったように思えるのですが、
その大きさなども含めて、かなり記憶はアイマイです。。
Wikipediaより
「イヤサカヤッサイ、サカヤッサイ」
担ぎ手の中には、もちろんレオナルドも加わりました。
彼らも祭りとは知らずに宇出津に来たらしく、、
「ワンダホー! ビューチホ!」
などと、もう大コーフン。。。
予想だにしないのに、思いっきりオリエンタルな催しに参加できたんですからね。
もう喜びすぎちゃって、ソフィアに至っては
「ブラーヴィ! ブラーヴィ!」などとミモダエしている状態でした。
ほどなく、道路わきの民家から声が掛かり、家に招き入れられたんです。
座敷にはゴチソウが並んだお膳がズラっと並べられ、、酒が注がれ、、
さあ飲め! さあ食え! の接待。。
飲み食いしたらオカネを払うものだと思って警戒し、何気にキョドるワタクシ。。
こういう時には彼らは大胆で、青い目をシパタかせながらズカズカ入っていくんです。
それに続いて、ワタクシもコソコソと。。
果たして、、、どうなりますのやら。。
「里山thanks!」より
これは、「よばれ」という接待で、
親類縁者だけでなく、通りすがりの旅人までもが、オヨバレしちゃう風習なんですって。
もちろんタダです。営利目的なんかではありません。
ゴチソウになって、そのお宅をオイトマすると、、、
次の家からも声が掛かり、、ソコでもズラっと並んだお膳!!
レオナルドやソフィア(共に仮名)は、どこのお宅でも大人気。
満面の笑みで「アリガトゴザイマス」を繰り返すものですから、、
そこまで喜んでもらえると、接待する側もキモチ良いでしょうね。
もちろんワタクシもアリガタくゴチソウになりながらも、、
祭りのたびにものすごい出費だなぁ、、などとも考えていました。
あの祭りの中、、力強く、優しく、そして気さくに迎えてくれた宇出津の人々。。
今、どれだけ辛い目に遭っているのかと思うと、ココロが痛んでなりません。
ワタクシごときがヘタに動くよりも、、、寄付と言う形で参加させて頂きた思います。
全くの微力ですが、、まずは復興に先立って、現状の改善に繋がれば幸いです。
能登町観光ガイドより
寄付は、返礼品無しの「ふるさと納税」で行うツモリです。
これならば、ワタクシの出費以上の金額が寄付に回ります。
被災地の自治体は、現状の対応に手いっぱいの状態ですので、
他の自治体が「代理寄付」を行っています。
寄付に関わる事務手続きを、全てヨソの自治体が引き受け、
寄付金だけが現地に行く仕組みです。
ワタクシは、地震発生時に長野県に居た縁もあり、
長野県信濃町に寄付を委託しました。
そこを経由して、、宇出津のある自治体、能登町に届く予定です。
ふるさとチョイス災害支援:
追記。寄付完了しました。
能登半島の旅 関連記事:
「能登はいらんかいね」と奥能登の波の花!!
(よなのたびはくねくね2)より
この記事へのコメント
ジュン
私は気がつかなかったのです
息子も四国からの帰宅途中
車で避難放送にはビビったそうです
どん底の苦しみ辛いです
頑張って欲しいと願うばかりです
凡・ハヤト
早く元の生活に戻られますように。
narayama2008
能登半島も旅されたんですよね。
泊まられたのはユースホステル。昭和の頃は若い旅人が旅先で泊まるとなるとユースが真っ先に候補にあがったものでした。
能登のユースではお祭りに誘われたのですか。しかも、道路わきの民家からは声が掛かり、家に招かれご馳走もおよばれされたのですか。
旅人までおよばれしてしまう風習、いいですね(^^)
これ以上地震が起きずに、一日も早く皆さんが元の生活を取り戻して下さる事を祈るばかりです。
おぎひま
お正月の楽しいヒトトキが一転、、、
とっても辛い出来事でした。
関東直下型地震も囁かれていますから、
いつ自分達がまきこまれるかもしれず、他人事ではありません。
とにかく、国民全員で助け合える環境があり続けて欲しいです。
おぎひま
ホントにそう思います。
まだまだ時間は掛かりましょうけれど、
みんなで支え合いましょう。
おぎひま
ユースホステルは、単なる宿を越えた楽しいシステムでした。
アチコチの夏祭りや盆踊も参加しましたし。
それが、さまざまな出会いや経験に繋がっていったのだと思います。
能登でも、貴重な体験が出来ました。
復興を願わずにいられません。
yona
青春の能登半島・続編楽しく読ませて頂きました。
奥能登ユースホステルに宿泊されたんですね。
私は、輪島の民宿と宇出津ユースホステルという協会直営のユースだったと記憶しています。
キリコ祭りの湯快な地元の民家でのご接待は偶然の貴重な体験でしたね。
カスミッシモ
対処のしようがありませんね。
閉じ込められた時の備蓄食料・水と金づち、毛布ぐらいを用意しておくぐらいでしょうか。
おぎひま
ワタクシは輪島のYH、狼煙の民宿、舳倉島の民宿、
家族では珠洲の観光ホテルに泊まりました。
それぞれの被災状況が気になります。。
おぎひま
我が家も、雪の中でクルマが身動き取れなくなった場合を想定し、
非常食、水、スコップ、保温マット、携帯トイレを積んでいます。
他にも、色々な想定を考えなければいけなそうですね。
教訓にしたいかと思います。。
山ちゃん
いや~あっ、おぎひまさん家はスキー帰りの高速で、それもトンネルの中で地震と遭遇されたんですか(吃驚)。こちらでは実家から戻って荷物を置いた時に地震がありました。直ぐに、実家(舞鶴)へ電話しましたが被害はありませんでした。トンネル内では対処に困りますが、外に出て停まるのが正解かも知れませんね。早速、ふるさと納税で寄付をされるとは頭の下がる行いです。何とか早く復興・復旧に役立てるように協力して行きたいです。
おぎひま
実際、走行中は揺れに気がつきませんでした。
地震速報が無かったら、知らないまま帰ってきたかもしれません。
激しく揺れるとクルマもハンドルが取られたり、
路面の損傷で事故に繋がる可能性も考えられます。
こういうシーンも、キチンと考えておかなければ駄目ですね。。
かにょにょ@横歩き
パックツアーで能登にゆき、またフリーでゆきたいと思っているうちにあの地震が来てしまいました。。。おぎひまさんはずいぶん昔にキリコをかつがれていたのですね!!
おぎひま
被災地が落ち着いたら、ぜひぜひ訪問してくださいませ。
被害が無かった石川県の観光地も、
キャンセルが相次いでしまっているそうです。
ソチラにもぜひぜひ!!