母親の実家が長野県の小諸にありまして、、、
モノゴコロつく前から頻繁に訪れたものです。
小学校の高学年にもなれば、鈍行列車を乗り継いだりして、
弟と二人だけでも行き来もしましたよ。
そのあたりのハナシは、コチラの長編でも触れましたけれど、、
今回はそれに関連する、未公開のハナシでございます。
ある年の夏休み、いつも通り小諸で過ごしまして、、東京に帰る列車を調べていたんです。
小諸から信越本線で高崎に出て、ソコから高崎線で上野に向かうのが通常ルート。
鈍行の場合は高崎乗り換え、、急行だったらバビューンとイッキに上野ですね。
このルートは、碓氷峠の上り下りが見せ場でした。
ところが、、、、ななんと、、小海線経由で新宿に着く急行を発見したんですよ。
その列車の名は急行「八ヶ岳」。(今は存在しません)
始発の小諸から普通列車として小海線を走り、途中の小海から急行に昇格。
小淵沢からは中央本線の急行「アルプス」に連結され、そのまま新宿に向かうんです。
小海線は当時も今も電化されていませんから、使う車両は電車ではなくディーゼルカー。
そうなると、連結されるアルプスもディーゼルカーと言う事になりまして、
新宿駅にディーゼル急行が乗りつけるなんて、当時のワタクシにはオドロキでした。
当時の列車の編成表を見て見ると、「八ヶ岳」は2両編成。
「アルプス」は10両編成で、うち3両が大糸線経由の糸魚川発。
残る7両は、途中の松本から連結されていました。
大糸線の南小谷・糸魚川間は非電化区間なので、(今でもです)
ディーゼルカーであるからこそ、ソコも走れた訳ですね。
(今は、その区間を走る特急・急行は存在しません)
なお、、、下りの「八ヶ岳」は、もっとフクザツで、、
「八ヶ岳」が2両。小諸ではなく中込行きだった模様です。
小淵沢で「アルプス」と分離されると、小諸行きの普通列車に連結され、
途中の中込で切り離されてオシマイ。。。
「アルプス」は8両編成。うち5両は松本止まりで、残る3両が糸魚川行き。
さらに、2両編成の河口湖行き急行「かわぐち」が、大月まで連結されていました。
ディーゼルカーは、(グリーン車などを除いて)全ての車両にエンジンを積んでますので、
コマギレな運用が電車よりもやりやすいんですって。
実際に、この頃は離合集散型のディーゼル急行がアチコチに存在していたみたいです。
またまた前置きが長くなりましたね。。。
いよいよ、「八ヶ岳」に乗って東京に帰る日がやって来ました。
小諸駅までは、伯父さんがクルマで送ってくれたのですが、
「帰るの、明日じゃダメなのか? 今日は一番混む日だから。。」
そのように心配してくれたんです。お盆の最終日だったのですね。
「ダイジョーブ! 信越線の急行と違って、小諸が始発だから」
などと答える、ワタクシども兄弟。
小諸駅に到着し、、、わずか2両編成の「八ヶ岳」に乗り込みました。
どれだけ新宿まで乗り通す客が居たのかは判りませんですけれど、
ワタクシと弟は、無事に座席をゲット。
4人掛けのボックスシートが並ぶ中、一番ハジッコにあった、、
2人分だけに区切られた席に潜り込めたんです。
ココに座っている限り、終点の新宿まで何事もなく着けましょう。
その時は、、そう思ったのでした。。
トコトコと小海線を南下する、我らが「八ヶ岳」。
最初は、とても新宿まで向かうとは思えないシュチュエーションでしたけれど、、
急行となる小海、そして野辺山からは乗客がドッと増え、、
観光地の清里で、車内は通路までギチギチになったんです。
弟と座った2人席は、平和が保たれていたのですが、、、
清里から乗って来た子連れのオババの視線が、我が兄弟をロックオン。
「あんたたち、コドモだけで乗ってるの?」
「そ、、そうですが」
「それならば、混んでる時はお互い様!」
そのように一方的に言い切ると、、、、
席を詰めて、自分のコドモも座らせろとのアリガタき命令が下ったんです。
あ。。。キツい。。
いくらコドモ3人とは言え、、、さすがにキツいです。
この状態で何時間も乗り続けるにはムリがあり、、苦痛でしかありません。
たまらずに席を立ったら、オババの思うつぼ。占領されてオシマイですよ。
なので、、、ガマンして頑張るしか無かったんです。
その子だって苦痛だったハズながら、、ママンには逆らえないのでしょうね。。
こうなってくると、、もはや車窓の景色を楽しむどころではありません。
一刻も早く新宿に着いてくれと祈るばかり。
オババから「オバちゃんも座りたいな。交代しよ!」などという、
哀願のフリをした恫喝が無かったのは幸いでした。。
ほどなく、、アタマの上からポツリポツリと水滴が垂れてくるぢゃないですか。
ああ、、やっぱり。。
ワタクシどものリュックを乗せた網棚も、オババによって強引に荷物をネジ込まれたんですよ。
小諸のオヂちゃんオバちゃんが持たせてくれた野菜類、、
その中のトマトが悲鳴をあげた模様です。。
オババが荷物をグイグイし始めた際には「あんまり押さないで!」とは訴えたものの、
それはオババの都合とは無関係。。聞いてもらえませんでした。。
おのれぇ! オババ! どうしてくれる!!
でも、、
イタイケな小学生が、オババ、、しかも押しの強いソレにタチウチできる訳もなく、、、
全て泣き寝入り。。
キツいという物理的な苦痛もですが、オババに対する無力感も耐えがたく。。
こうして、ワタクシどもの「八ヶ岳」乗車体験は、何ともホロにがい、、、
いえいえ、そんなんぢゃ済みません。ヴェっとくるようなクソマズい思い出になったのでした。。。
オトナシく、、本数も多くて車両も長大な、信越線経由で帰れば良かったと。。。
画像の引用元:
急行「八ヶ岳」の写真、および行先表示板
車両編成
【関連記事】
ひかり指定席の怪。。。。ハリノムシロ エクスプレス、、、オッサンと一緒!
特急「瀬戸」の怪。。。新幹線の乗継ぎ割引、2024年3月で廃止へ。。
この記事へのコメント
narayama2008
手元にある1968年10月号の時刻表復刻版を見ると急行「八ガ岳」ありました(^^)
急行「アルプス」との併結で小海線経由で新宿-小諸間の運転って面白いですね。
ただ電車の急行「アルプス」だとビュッフェがあるのですが、こちらは気動車なのでビュッフェは無しというのがちょっと残念というところでしょうか。
おぎひま
復刻版でご確認いただいたのですね。
ワタクシも欲しいです。。。
ビュッフェとか食堂車、、懐かしいですよね。
ワタクシは大好きでしたけど、、
まさか、車内販売まで絶滅危惧になるとは思いませんでした。。
山ちゃん
いや~あっ、いいところに目をつけられましたが、鬼のようなオバタリアンに酷い目に遭われましたね。やはり、子供だけだと大人には叶いませんね。それにしても、昔は併結・分割を繰り返す急行が多くありましたね。
おぎひま
泣く子とオババには勝てません。。
離合集散型の急行は、もう無いでしょうね。
そもそも、、急行と言うのがJRからは撲滅してますし。。
新幹線とカタカナ特急ばかりですよ。。。