学生時代の冬、初めて北海道に上陸した旅の写真です。
あ、キチンとした鉄道写真ぢゃないですよ。
ワタクシが「写ルンです」で撮ったナンチャッテ写真で、
思いつきでシャッターを押してますから構図もテキトー。。
思いっきり色落ちもしています。
昭和のヒトコマを懐かしがって頂ければ幸いです。
↓は、おそらく岩見沢駅だと思われます。
↓は、夕張駅。
そう書いてあるので、たぶん正解です。
夕張駅は、2019年に夕張線ごと廃止されてまいました。
その半年前に訪れた際は、こんな感じでした。
これは、もうどこだか判りません。
雪の中の、小さなローカル駅、、、、
それで良しとしましょうか。
車両の型式?
ワタクシには、そういうのは判りません。。
ごめんなさい。
コチラは、もう少し大きい程度の駅ですね。
跨線橋があり、列車が2本。
そして、ラッセル車の姿も映っています。
吹雪いている?
そうではありません。ピンボケで、しかも色落ちしているんです。。
わずか1両編成の列車。
そういう運用が出来るのは、ディーゼルカーならではですね。
これも、駅の場所が特定できません。
山が迫っているのが手掛かりになりそうですが。。。
この写真の場所は明白、、根室本線の厚床駅です。
デカデカと、そしてカナでも書かれているのでマチガイありません。
札幌から釧路までは夜行急行「狩勝」、、
そこで急行「ノサップ」に乗り換えたのだと思います。
厚床からは、今は亡き標津線に乗り換えました。
標津線は「Y」の字の形をした路線で、
厚床で根室本線、標茶で釧網法線と接続し、中標津で合流。
そして根室標津がイキドマリの終点でした。
標津線の沿線は、こんな感じの場所、、根釧台地のド真ん中で、
今から思えば、よくぞ鉄道を敷いたものだと感心するばかりです。
根室標津駅から、1日1便のバスで野付半島に向かいました。
実は、列車が遅れてバスに間に合わなかったのですが、
取り残された客たちのアピールが聞き入れられ、
駅員がクルマでバスを追いかけて、連れ戻して来たんです。
牧歌的です。ヘイワです。
乗るハズだったバスが吹雪で運休し、、急遽乗る事になった相生線。
美幌駅から北見相生駅までを結ぶ、これも今は亡きローカル線です。
この路線、、、と言うか北海道のアチコチには、
全国版の時刻表に載っていない駅があったりするんです。
この「高校前」もソレ。
「仮時乗降場」という位置づけで、正式な駅ではありません。
国鉄(JR)本社の決定ではなく、支社レベルの判断で設けられ、
コチラは津別高校のPTAから依頼されたのだとか。
あくまでも「仮」ですから、、
運賃は、次の「駅」までの分が適用されるんですって。
ココは「開拓」。同じく仮乗降場です。
駅名の標識も、オトォチャンの工作レベルですね。
標識によれば、美幌側の隣駅は「ほんき(本岐)」とありますが、、、、
この「開拓」と「本岐」の間には、「大昭(たいしょう)」という仮乗降場があります。
仮乗降場に無視される仮乗降場、、、、
そんな程度の扱いなのですね。。
ならば「大昭」の標識は、「開拓」を無視しているかもしれません。
いずれにしても、、、
全てが廃止されてますから、もう確認はできないと思います。
川湯駅。今は川湯温泉駅に改名されています。
この写真では、なかなか味のある駅舎だと思いますが、
現在の写真を見ても、殆ど変わっていなくてオドロきました。
マチガイ探しをすれば、、、違うのは駅名と、
やたら古いモデルのクルマぐらいでしょうか。
稚内駅は、駅舎の構造からして変わってますね。
9年前、カミさんらがトォチャン抜きで訪問した際の様子はコチラです。
ワタクシは、ココから東京までイッキ帰りしました。
当時、函館行きだった急行「宗谷」に乗り、
函館までの所要時間は11時間49分。
6時間半がかりで札幌に着いた時は思いっきり脱力しつつ、、
まだまだソレで半分ちょっとだったんですよ。。
函館に着いたのは18:54。日中は丸々「宗谷」の車中でした。
凝り固まったカラダは、青函連絡船の4時間でほぐし、、、
でも安心は出来ません。
青森からは夜行急行「八甲田」で、上野まで11時間の旅が待っていました。。
当時の、急行「宗谷」
(TENDER UNOFFICIAL BLOG -NEO より)
この記事へのコメント
ponies
忘れる事の出来ない素敵な思い出ですね。
大切な宝、大事に保管してくださいね。
おぎひま
そうですね。
もう2度と撮れませんですから。
残念なのは、、、もっと早くデータ化しとくべきでした、。。
山ちゃん
いや~あっ、懐かしい写真が色々出て来ましたね。
廃線になった路線、当時の急行列車、長時間の列車旅、写真がないと記憶が蘇らないでしょうね。
山ちゃんも、おぎひまさんの記事で愛国駅を思い出し、当時の「愛国から幸福」¥70円の切符を見つけました。日付は50 -2 27で知り合いの結婚式に合わせて印字して頂いたと思います。寒くー26℃で吐く息が髪の毛に着くと直ぐに真っ白になった記憶があります。
かっちゃん
当時は「仮時乗降場」というのもあったんだ!!
北海道は車で回りましたので電車に乗ったことがないんですが、廃線になったところが多くて寂しいね。
赤字路線見直ししてるからもっと廃線が増えそう・・・
おぎひま
愛国から幸福へのキップ、流行りましたよね!
幸福駅は今でも駅舎だけ残っていて、
いまだに観光名所になっている模様です。
ワタクシは、列車で通っただけで、駅に降り立ってはいません。。。
おぎひま
イロイロなものが、懐かしい記憶になってしまいますね。。
時代の流れで役目を終えた路線もありますけれど、
いわゆる政治路線で、最初っから最後まで必要のなかった路線も。。
いずれにしても寂しものです。