2泊3日の駆け足で周る、九州北部の旅。。
貴重な中日、、2日目の行先を決めるのに悩みましたが、、
まずは、poniesさんの記事を拝見して気になっていた関門海峡を選びました。
海外の旅、キャンピングカーでの旅、、今は乗り鉄の旅を続けられている、
我が家のアコガレのご夫婦です。
で、、、その後の行先に選んだのはコチラ、、耶馬渓です。
国語や道徳の教科書に出てくる、、、青の洞門、「恩讐の彼方に」の舞台ですね。
長男坊、マナムスメ、共に気になるとの事で、ならばとココにキマリですな。
簡単に、「恩讐の彼方に」のストーリーのおさらいを。
強盗殺人を繰り返したオトコが反省し、了海と名乗る坊さんになりました。
罪滅ぼしの全国行脚の途中、多くの旅人が命を落としている耶馬渓という難所に着き、、
人々が安全に通れるよう、ソコにトンネルを掘ろうとココロに決めたのでした。
掘り始めて18年目の終わり、、了海を探してココにやって来たオトコ、中川実之助。
父親を了海に殺された実之助は、、遂に親の仇を見つけ出したんです。
スナオに実之助に切られる事を選んだ了海でしたが、、、
【以下、ネタバレあり】
イロイロあって、トンネルが完成するまで待つ事になり、、
完成を早める為には自分も手伝う実之助。
苦楽を共にする事1年半。ついにトンネルは完成!!
了海が掘り始めてから、21年目の出来事でした。
もはや敵討ちなどどうでも良くなった実之助は、了海に縋り付いて号泣しましたとさ。
めでたしめでたし。
物語に登場する坊さん・了海のモデルは、実在の人物の禅海和尚。
30年がかりでトンネルを掘ったのは実話だそうです。
自分一人で掘った訳では無く、托鉢で金を集め、石工たちを雇って掘らせたのだとか。
また、強盗殺人犯だったというのは作者・菊池寛の創作で、禅海さんは根っから良い人。
実之助も敵討ちも、「恩讐の彼方に」というフィクションの中のお話なんですって。
物語は物語としまして、、、
このような険しい崖に人力で掘られたトンネルが存在する事、、、
それはマチガイのない現実です。
さっそく、その「青の洞門」に入ってみましょうか。
マナムスメさん、案内をよろしくお願いいたします。
開通したのは1763年(宝暦13年)、、260年前のトンネルに、GOGOGOGO!
青の洞門を走り抜ける、バイクの集団。。
あのぉ、、、禅海和尚さま、、、
牛馬が大型車両だった時代に、けっこう大きめに掘ったのですね。
かなり直進的なライン取りもリッパです。
ずいぶん先見の明があります事。。
フルコンのキャンピングカーも通って行くぢゃないですか!
これは、前出のponiesさんも通過したに違いありません。
ソコまで考えて設計していたのですか! 禅海和尚さま!
すごい! 凄すぎます!!
もちろん、、そんな事は有り得ません。。。
明治時代の末期、、、陸軍の日出生台演習場への経路として使う為、、
トンネルは大幅に削られ、高く広く拡幅されたのだそうです。
なので、禅海和尚の時代の原型は、大いに失われてしまいました。
それでも、ほんの数か所、そのまま残っている部分があるんです。
ココがソレ。コンクリの階段を下ったところに、当時のトンネルの一部が残っています。
納得の狭さ!! そしてクネクネした感じ!
壁も半分ぐらいはコンクリで補強されていましたけれど、、
全く何も残っていないよりはマシですね。
福沢諭吉さんが、地元・中津市の出身だそうで、、
この景観を守るために、土地を買い取ったりしたんですって。
それが無ければ、青の洞門は消滅していたそうですよ。
トンネルの中にも、禅海さんの姿がありました。
まだ掘り続けているのですね。ゴクローさまです。
なお、青の洞門は、完成当初から
「人は4文、牛馬は8文」
の通行料を徴収したと言われていまして、、
それが事実なら、日本最古の有料道路になるそうですよ。
シッカリしてますね、禅海和尚。
アナタはドチラサマでしょうか。
もしや、料金所の係員?
ウソです。バチを当てないでください。
反省してます。トンネルは掘れませんですけれど。。
何か所か、明かり取り用の窓が残されていまして、
これは、禅海さん(もしくは雇われた石工)が掘った当時のまんまだそうです。
その窓からは、耶馬渓の流れが望めました。
耶馬渓は、「日本新三景」や「日本三大渓」にも名を連ねているんですって。
ちなみに、日本新三景は
大沼(北海道七飯町)、三保の松原(静岡県静岡市)、耶馬渓(大分県中津市)
日本三大渓は
猊鼻渓(岩手県一関市)、嵯峨渓(宮城県東松島市)、耶馬渓(大分県中津市)
こういう「三大〇〇」は、日本中にウナるほどありますね。。
でも、、、フシギに思うのは、、、
対岸には穏やかな傾斜の土地が広がり、、、
アッチに道を作れば、トンネルを掘る必要も無かったりしませんか?
まあ、260年前は、地形も今とは違いましょう。
上流に耶馬渓ダムとかが無かった時代ですから、
この山国川は、もっと暴れた川だったんですよ。きっと。
やややや!!
青の同門の駐車場の横断歩道に、ビートルズが!!
もちろんホンモノではありません。
中津市の本耶馬渓支所が作成した観光ポスターです。
歩いているのは、市の職員のOB、、元管理職の皆様なんですって。
衣装は自前だそうですから、ご本人たちもやる気満々だったのでしょう。
こういうのって、著作権上は問題無いのでしょうかね。
ま、まあ、大目に見てあげてくださいませ。。
駐車場の脇には、甘味処 禅海茶屋なる茶店がありまして、
本格的な和菓子や抹茶のパフェなんぞが楽しめるそうです。
マナムスメが、それを素通りする訳がありません。
さっそく出向いてみるも、、、16時で閉店でした。。
無念。。
道の駅でオヤツでも買いましょう。。
耶馬渓から日田に抜けるには、延々と山道を走った記憶しかありません。
ところが「中津日田道路」という、高速道路のような道が出来ていて、
しかも無料!! アッと言う間に日田に着いてしまいました。
ううむ。グーグルマップで調べた予想所要時間が、妙に早かった訳ですよ。
ワタクシどもがバイクで旅していた頃の感覚は、もう通用しません。
便利になったものですけれど、、、
その代わり、気がつかないままトンネルで通過してしまう絶景もある訳で。。。
まもなく、日田のIC。
バックに見えるのは、釈迦岳(1230m)でしょうか。
だとしたら福岡県の最高峰。九州百名山のひとつです。
高速の九州横断道を、博多を目指して西へ。のち北へ!
急ぎましょう。
博多には、すでにカミさんが壱岐から戻ってきているハズです。
並走する山並みは、耳納山地。
耳納山(367.9m)、発心山(697.5m)、鷹取山(802m)、、、
それほど標高は高くないものの、東西に約30kmも連なる、盾のような山々なんです。
稜線上には細い道が延々と続き、、、そこからの眺めが圧巻!
南側には山々が折り重なり、、、北側には眼下に広がる大平原。
振り返るたびに、正反対の光景が切り替わるんです。
このあたりに、中央構造線が走っていまして、
その活断層の境目が、耳納山地や筑後川な訳ですね。
違和感アリアリな光景は、見るべき価値もアリアリですが、、、、
オソロシく細いクネクネ道なので、、、
バイクなら楽勝でしたが、クルマの場合は覚悟が必要ですぞよ。
この記事へのコメント
かっちゃん
「恩讐のかなたに」は実話とはずいぶん違うのですね。
禅海さんは通行料を徴収して「日本最古の有料道路」にするなんて商才があったんですね。
禅海さんのことだから通行料もいいことに使ったのでしょう。
具体的な料金もわかっているのだから事実だと思いましょう。
「青の洞門」行ってみたいな。
ponies
青の洞門は洞門の上に登る道が有り上ると落石防止の金網を
固定してありました、とても眺めが良かったです。
本耶馬溪、奥耶馬渓、浦耶馬渓と一巡しました、懐かしく
思いながら拝見しました。
おぎひま
禅海さんは、物語の中でワルモノにした菊池寛の事も、
きっと許している事でしょう。
「青の洞門」、、、、ぜひぜひ、ご覧になってください。
ただし、、、他のものとの抱き合わせが良いですね。
単独では、、、ちょっと。。
昔のキケンなクサリ場ルートも、まだ通れるみたいです。
おぎひま
やはり行かれてますよね。
洞門をくぐるキャンピングカーを眺め、
そのように確信いたしました。
我が家も、いずれ軽キャンをゲットして訪問したいです。