ワタクシも属していた「ざ・TW組」とは、、、、
YAHAMAのバイク、TW200を愛する人々の、極々私的な集まりです。
組長が、バイク雑誌の「メンバー募集コーナー」で呼びかけたのが始まりで、
ワタクシの場合は、キャンプツーリング中、、、
そこで出会った組員からスカウトされました。
それから長い月日が経ちまして、ワタクシもゴブサタとなり、、、
今では、組織だった活動は行われていないと思われます。たぶん。
ワタクシが初めて参加した、TW組のキャンプがコチラです。
これだけTWばかりが並ぶと、なかなか壮観だと思いませんか?
こんな感じで、ちょくちょく集まりがありました。
この時は、山道で脱輪したクルマと遭遇し、
みんなで持ち上げて助け出し、オダチンを貰いましたっけ。。。
アレもコレも、良い思い出ですね。
1996年の夏、、、ワタクシにとっては大きな事件がありました。
千葉県の天津小湊に「F2小湊」というオフロードコースがありまして、
そこでキャンプし、オフロード走行も楽しむTW組の企画に参加したんです。
F2とは、「ファミリー フィールド」の略称で、、、、
なんだか牧歌的なコースが思い浮かびますでしょう?
ところが、実態は、、、
大改造されたジムニーとかがブイブイ言わせながら走ったり、そして横転したり、、
かなり本格的な鬼コースだったんです。
翌朝、さっそくコースに挑むTW組のメンバー。
3つ目か4つ目のアトラクションで、ワタクシはヤラカしてしまったんです。。
急斜面を全開で登っている最中に前輪を弾かれ、進行方向がイッキに90度回転し、、、
そのまま、コース脇の崖からバイクごとダイビング。。
落ちている最中は記憶が無く、、
駆けつけてきた組員らに助け起こされたのでした。
アチコチが痛かったですけれど、打撲ぐらいだと思っていましたので、
救急車を呼ぶという組員たちを制したりしていましたが、
あまりにも執拗なので断り切れず、やって来た救急車に乗りました。
救急車に乗るのは初めての経験で、
おおっ! 自分が乗っていると、ドップラー効果が無いぞ!
などと納得したりもしました。
ドップラー効果を、ごくごく簡単に説明しますと、、、
やって来た救急車が自分の前を通り過ぎると、サイレンの音程が変る、アレです。
運び込まれたのは、安房鴨川の亀田総合病院。
房総地区では有名な救急の拠点で、ヘリポートなんぞもあるんです。
救急搬送口に到着すると、看護士さん達が待ち構えていました。
アチコチ痛いながらも自力歩行も出来たのですが、それを主張する前に、そのままストレッチャーで運び込まれました。
レントゲンを撮られ、、そして結果発表!
痛みさえ引けば帰れると信じていたワタクシには、思わぬ宣告が待っていたんです。
「折れてるよ。あっ!ここもだ! お~っと、ここもだ~ぁ!!」
結果、、鎖骨骨折、肋骨を3本骨折、そして腰堆横突起も骨折、、計5本!
その瞬間から、ワタクシは寝たきりになりました。
その瞬間から、ワタクシは寝たきりになりました。
打撲だと思い込んでいる時は、どうにか動けたんですよ。
少し休んで痛みが引いたら、そのまま帰るツモリでしたし。
しかし、、、骨折と聞いたら、、、もうダメ。動けません。
もちろん、即入院。。
自力では動けない患者さんばかりの病室に入れられました。
ああ、せめてタバコの一服でもしときたかったなぁ。。
そう考えたワタクシは、、喫煙所まで行ってみる事に。。。
自力ではカラダを起こせませんでしたが、、、、
電動ベッドを駆使したら、どうにか立ち上がれたんです。
そこまで、5分ぐらい掛かりましたけれど。。
あとは、廊下の手すりを頼りにヨロヨロと。
そしたら、ソッコーで看護師さんに発見され
「アナタ! なにやってるの!!」
などとお説教。。
どうしても吸いたいのだと哀願したら、、、1日5回だけの約束で許可されました。
回数はワタクシの提案。寝起き、朝昼晩の食後、そして1回は予備です。
そうしたら、、、直ちに寝たきり部屋からフツーの病室に移動させられ、、、
ベッド用の歯磨きセットやら尿瓶やら、全て回収されてしまいました。
タバコを吸いに行くぐらいなら自分でやれ! そう言う事だと思われます。。。
ワタクシの治療は、特に手術をせず、、、幹部の固定でくっつける事になりました。
なので、基本的にはベッドでゴロゴロし、、、
トイレとタバコの時だけ、痛みに耐えながら起き上がる生活パターンです。
入院3日目、、、看護士さんが朗報を告げてくれました。
「先生が、今日からシャワーOKだって!」
それはありがたいです。
なにしろオフロード走行&崖落ち、、、そのまんまの状態でココに来たもので、
汗やヨゴレでベタベタどろどろでしたから。
でも、ギチギチに鎖骨バンドで縛られていて、腕が完全に自由には動きません。
「ダイジョーブですよ。介護のヒトが洗ってくれますから」
さいですか。それは助かります。
そしたら、、やって来たのは19歳のオネェチャン。
マヂすか! ど、どうしましょ。。。
何ともコッパズカシいですし、ハンノーしちゃったらどうしましょう。。どきどき。。
「自分で洗えるところは自分で洗ってくださいね」
そ、そうですよね。。。
で、、その結果は、、、、、ずっとオリコウにしていられました。
エッヘン。。
喫煙所から駐車場を見下ろすと、、スミッコに我がTWが止められているのが見えたんです。
とりあえず走行するには問題が無かったらしく、組員が現場からココまで乗ってきてくれた訳ですね。
毎日、相棒の姿が見えるのは嬉しく、そして非常に頼もしいものでしたけれど、、、、
行きつけのバイク屋さんにお願いし、軽トラで東京まで運んでもらいました。
バイクに乗って帰れるまで入院している訳にはいきませんですし。
なにしろコチラは、救急患者を受け入れるのが使命の病院ですから、
特に治療の無いワタクシは、とっとと転院先を見つけて出て行けと言うスタンスでした。
毎日、房総の海を眺め、、、
ゴロゴロしているだけで3食が用意され、、
悪いヤツがお見舞いに持ってきてくれたビールをアリガタく呑み、、
その結果、ズキズキと痛みが激しくなって大後悔し、、、
そして、シャワーのたびにドキドキする日々。。。
1週間ほど、そんな状態が続き、、、
やがて、アニキが迎えに来てくれました。
ワゴン車の荷台にフトンを敷いた状態で、準備はバッチリです。
鴨川有料道路をビュンビュンと走り、、、、
着いたところは、新宿区の国際医療センター。。
アニキが、どこをどう手配したのかは判りませんですが、
ずいぶんとリッパな病院にブチ込まれたものです。
こうして、ワタクシの入院は、後半戦に突入したのでした。
この記事へのコメント
山ちゃん
ひえ~えっ、崖からバイクもろとも転落とは恐ろしい。
骨が5本折れただけで、正に、九死に一生を得たような体験をされましたね。
おぎひま
まあ、若気の至りで。。。
今だったら、即死します。。。