鉄道編、飛行機編に続き、、、船編です。
長距離航路の遅れは、やはり時間のスケールが違いますね。。
我が家が小笠原諸島の父島に出かけた際は、おがさわら丸が7時間半遅れ。。
出航の遅れも含めると、18時間半の遅れで到着した事になります。
当時は、フツーでも25時間半掛かりでしたから、(今は24時間)
船中2泊、、33時間の大航海となりました。
通常は、竹芝桟橋を出港するのが午前10時だったのですが、、
その時点で北陸あたりにオワシマシます台風のアオリで、出航は21時に延期。
海が荒れるのは覚悟しつつ、欠航にならなかっただけラッキーだと船に乗り込みました。
ところが、、、船は案外と揺れず、、、
キモチ良く呑んで、キモチ良く寝むる事が出来たんです。
翌朝、キモチ良く目を覚まし、、時刻からすると八丈島沖あたりかと外を眺めると、、
ななんと、、現在地は横浜沖。。
おが丸は、波の静かな東京湾で退避していたんです。。
そして東京湾から出ると、、オソロシいまでの大揺れ航海。。
それが翌朝の早朝まで、さらに24時間続いたのでした。。。
詳細:フロントライン(2003夏・小笠原)(メインサイト)
このブログの過去記事:おがさわら丸、、、船中2泊の大航海。。
到着が遅れた時間を比べてみると、、、
東京から乗った橘丸では、御蔵島への到着が30時間半の遅れ。。
これには、再チャレンジに備えて三宅島で待機した時間も含みます。
今のところ、、これが我が家の最高記録ですね。
実際に乗船していた時間の合算は、行ったり来たりで22時間半。
おっと、おが丸の通常の所要時間よりも短かったのですか。。
ううむ。やっぱり小笠原って遠いですね。。
この時の我が家の予定は、
竹芝→(三宅島)→御蔵島
そんな単純な行程だったのです。
御蔵島は、海が荒れると船の接岸が困難で、通過しちゃうんです。
島に2つ以上の港があれば、風向きによって使い分けられるのですけれど、
港が1つしかない御蔵島は一発勝負。。メインの港がダメならダメ。。
冬場の欠航率は60%では済みません。
で、、、我が家の実際の行程は、、、
竹芝→(三宅島)→御蔵島【通過】→(八丈島)→御蔵島【通過】→三宅島・下船。。
そして翌日
三宅島→御蔵島【通過】→(八丈島)→御蔵島・下船
こんなんなりました。。
3回通過され、4回目で上陸出来た次第です。。
このブログの過去記事:碧落の御蔵島【2】東海汽船のフラッグシップ、橘丸に初乗船
ちなみに、、、この場合の運賃は、、
フツーに御蔵島で下船できた場合と同額になります。
御蔵島を諦め、代わりに八丈島や三宅島を観光すれば、
それぞれの島までの通常運賃に変更されます。
上陸を断念して竹芝港まで戻ってくれば、全額が払い戻されます。
とにかく、、、同額で、イヤってほど船旅を満喫できたのでした。
波で欠航というパターンは、伊豆諸島の青ヶ島でも遭遇したんです。
青ヶ島を離れる日の朝、泊っていた民宿に連絡が入ったんです。
八丈島と青ヶ島を結ぶのは、漁船のオヤダマみたいな連絡船・環住丸。
それの欠航が決まったとの事でした。
民宿のオヤヂさん曰く
「こりゃ2~3日は出航できないかもしれない」
などと言い出し、、、さあ、どうしましょ。。
オヤヂさんは、どこかに電話をかけ、、、、
我が家に、すぐに出発準備するように命じたのです。
停泊中の貨物船に乗せるからと。
大慌てで港に連れていかれると、、、
まるでロデオにように、青い貨物船が波にノタウチまわっていました。
巨大なトリカゴのようなモノに乗せられ、、
それごとクレーンで中吊りにされての乗船でした。。
我が家が乗せられた船は「ゆり丸」。
貨物だけでなく、乗客も乗せる貨客船で、本拠地は伊豆諸島です。
自らのメイン航路は持たず、、
ドック入りする船の助っ人として登場する、タノモシきスーパーサブなんですって。
「ははじま丸」の助っ人として小笠原・母島まで出向いたり、、、
「フェリーとしま」の代わりに、鹿児島のトカラ列島に現れた事もあるんです。
我が家は、そんな神出鬼没のスーパーサブに乗った事が自慢だったのですが、
その「ゆり丸」、、昨年の10月に引退してしまったそうです。
なんだか寂しいですね。。
なお、引退後は解体される訳では無く、、
トンガで第二の人生を送るとの事でした。
詳細:要塞島上陸作戦(2004夏・青ヶ島)(メインサイト)
このブログの過去記事:「ゆり丸」参上! 我が家を救え! IN 青ヶ島

この記事へのコメント