「コ」のアオリで、お出かけ激減。。
夏休みの予定もたちません。。。
旅行系の記事もネタ切れですので、、
穴埋めの振り返り編でゴマカさせていただきます。。
画像は、カミさんのデジカメですので、、、、
本編でアップした、D51不況型ガラケー写真よりはマトモだと思います。。。
時は2009年のGW。
旅立ちは羽田空港からでした。
当時のマナムスメは、1歳と10か月、、
カノジョにとって、生まれて初めての飛行機だったんです。
ひたすらカミさんに密着し、離れようとしないマナムスメ。。
離陸時の圧迫感や揺れが怖かった?
違います。常にコレなんです。
降り立ったのは、青森県の三沢空港。
ずいぶん地味なところに来た? そうですね。。。
この年、目指したのは奄美大島だったんですよ。
ところが、予約合戦に敗れて飛行機を抑えられずに見送り。。
せっかくの株主優待券(貰い物)をムダにするのも勿体なく、、
どうにか空きがあったのは青森便ぐらいだった、、、そんなオチです。。
来たからには、思いっきり楽しみましょうね。
空港でレンタカーを借りました。
大きな空港と違って、その場にクルマが待っているのはアリガタいですね。
この時の旅は4泊5日。
全てお宿泊なので、荷物も多くなく、、
この位のクルマでダイジョーブ。
ベビーシートに縛り付けられたマナムスメ。
我が家のボロッチィやつと違い、ギチギチに固定されるのが気に入らないらしく、
延々と不平不満を漏らしておりました。。
コッチのほうが安全なのですよ。アナタの為です。。
どうボロい? こんな感じです。
最初の目的地は、下北半島の尻屋崎です。
青森県の地図を見ると、、やたらトンガっている岬ですね。
日本の灯台50選に名を連ねる、この尻屋崎灯台、、、
明治9年の完成で、東北では最も古い灯台なんですって。
この灯台、太平洋戦争中に米軍機の攻撃を受けて破壊され、
なのにナゾの光を放ち続けた事が、当時の公的記録に残っているんですって。
その光は、仮の灯台を設けたら消えたとの事です。
銃撃で殉職した灯台守の霊が。。。などといったウワサもあったとか。
さすがにマユツバですね、ソレは。
今でも、灯台には銃撃痕があるそうです。
我が家は、それには気が付きませんでした。
この尻屋崎には、野生のウマがいるんです。
寒立馬(かんだちめ)と呼ばれるウマで、
江戸後期、盛岡藩は放牧した馬の子孫なのだそうです。
厳しい環境ですから、一時は9頭まで減ったものの、、
我が家の訪問当時は40頭ほどまで回復し、、
2020年の生息数は25頭。
NPO法人によってお世話されているんですって。
寒立馬を守る会:
尻屋崎を後にしてすぐ、、、
「貝焼き味噌定食」なるカンバンが目に入り、ソコでヒルメシにしました。
「御食事処やまだい」なる店です。
これが、その貝焼き味噌定食。
巨大なホタテの殻で焼くのですね、これは凄い!
合わせて、海軍コロッケも食べました。
かつて、下北半島の大湊には軍港があり、
それに因んだメニューとの事でした。
その貝焼きを食べながら、、、、
マナムスメに液体燃料を与えるカミさん。
この時点で、まだ卒乳できていないんです。ププププ!
ソレ用の造りの服なので、人前でもダイジョーブではありますけれど、、、
呑んでるほうのアナタ!
ハズカシいのはアナタのほうでしょう。大きいのに。
何よりもシヤワセ?
さいですか。。
長男坊くん、キミはコロッケ二人分を食べて良し!
大間崎に着きました。
ココは本州最北端。
マグロでも有名ですね。
大間のマグロは、初セリで億単位の値が付いたりするものの、
その場合、漁師さんのフトコロに入るのは半分ぐらいみたいです。
所得税として、最高税率の40%が適用されちゃうのがデカいですね。
そして、恐山に向かいました。
すでに夕方になってましたから、
時間が無くて慌ただしく周るハメになったものの、
薄暗くてオドロオドロしさが倍増。。
何気にナイスな演出となりました。
この日の宿は、ビジホ。
下北半島の東岸の、「やまいちホテル」です。
当時、この界隈は原発などの核関連施設の関係者でニギワい、
格安のビジホが幾つもあったんです。
長期滞在者も居ましょうから、安くてキレイで美味しいんですよ。
イチゲン観光客の我が家も、それに便乗できた訳ですね。
このホテル、後に閉館してしまいましたけれど、、
今は、別のビジホとして営業している模様です。
初日はコレでオシマイ。。
二日目も青森県を周りました。
【本編】
尻屋崎
御食事処やまだい
大間崎(青森県)
恐山(青森県)
恐山温泉
この記事へのコメント
サヤ侍
おぎひま
ホントに、月日の流れるのはアッと言うまで、、、
親がヂヂィになる訳ですよ。
気がつけばお迎えが来そうです。。