関ヶ原の合戦、、激戦地、光成の陣地・笹尾山【令和元年GW・14】(岐阜県関ヶ原町)

GWに四国を巡った我が家でしたが、、、
帰路に立ち寄った関ヶ原が、最後のアクティビティーとなりました。
夜営した朝倉運動公園を出発し、、
関ヶ原の戦場見学は、徳川家康最初陣地からスタートです。
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ココにあった両軍の配置図はコチラ。(↓の写真)
現在地と書かれた、赤い巨大な軍が開戦当初の家康の陣地です。
こうして見ると、後方にポツーンと見えるものの、、
実際には、この陣地の後方に、、、、
西軍の吉川広家、毛利秀元、長宗我部盛親らの大軍が陣を張っていたんです。
要は、完全に西軍に囲まれていた訳ですね。
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ココが、陣地の跡。(↓の写真)
桃配山という地名ながら、ちょっとした丘みたいなものですね。
標高104mと言っても、このあたりの土地自体が、そのくらいあるのでしょう。
家康は、ココでは前線の戦闘状況が判らないとの事で、
ズンズンと陣地を前進させたそうです。
吉川が内通し、後ろからは攻めて来ないと判っていたのでしょう。
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で、最終的に陣地を張ったのがコチラ。
徳川家康最後陣地跡です。(↓の写真)
桃配山からは、かなり前進していまして、、
石田光成の陣地の目と鼻の先。
合戦の火ぶたを切った松平忠吉・井伊直政チームよりも前ですよ。
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これが、最後陣地を示す碑です。(↓の写真)
当日は、このような石垣は無かったでしょうけれど、
仮にも、東軍の総大将の陣地ですので、、
いかにもソレらしく演出したのでしょう。
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最後陣地から200mほど後退したところに、首塚がありました。(↓の写真)
戦死者の首を埋葬した場所です。
首塚は東西2つありまして、コチラは東首塚。
東軍と西軍に分けて埋葬したという説があるそうですが、
それは手間がかかってムリでしょうね。
西首塚は、かつて「胴塚」とも呼ばれたそうで、
首と胴とで東西に分けられたのでしょうか。
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これは首級墳碑。(↓の写真)
首塚は合戦直後に造られたそうですが、
この碑が建てられたのは、合戦から200年後の1817年。
関ヶ原宿の年寄・古山兵四郎が、
かつてココで大勢の死者が出た事実を後世に残す為、
合戦当日の様子などを書き残した碑なんですって。
文の結びは
「将来この首塚が、丘や谷に変わり果てる事の無いよう乞い願うものである」
とあるそうです。
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その碑のすぐ脇にあるのが、松平忠吉・井伊直政チームの陣地跡。
松平忠吉は家康の4男で、彼を婿に迎えたのが井伊直政。
忠吉は、関が原の合戦では先陣を切るなど活躍したものの、、
その僅か7年後、28歳で病没したそうです。
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奥へ奥へと前進を続けると、、、、
デーンと構えられた、ゴリッパな陣地が登場!(↓の写真)
西軍のオヤビン、石田光成の陣地です。
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家康や他の武将の陣地跡は碑や案内板だけなのに対し、
木の柵など、本格的な陣が構えられているんです。
西軍の名目上の総大将は、大阪城に詰めた毛利輝元ですけれど、
光成は、事実上の最高責任者ですもんね。
なので、特別扱いなのかもしれません。
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笹尾山(標高200m)をバックに構えられた陣地、、、(↓の写真)
なんともカッコイイぢゃなですか。
さっそく、その笹尾山に登ってみましょうか。
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僅か数分でテッペンに着けば、、、
仰々しい見張り台がありました。(↓の写真)
ううむ、ラスボス感がタマリませんですね。
とにかく、やたら見晴が良いんです。
そのあたりを考慮し、光成はココを陣地の場所に選んだのでしょうか。
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この笹尾山から見た、各陣地の配置図はこんな感じです。(↓の写真)
南北が逆転しているのは、ココからの眺めに合わせているのですね。
目の前まで、東軍が迫ってきているのが判ります。
光成が事実上の大将ですので、相手も狙ってくるのでしょう。
実際、このあたりが大激戦だった模様です。
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それを、写真で示したパネルがコチラです。(↓の写真)
南宮山に陣取ったまま、最後まで動かなかった毛利秀元らの陣を別にすれば、
見事に東軍に囲まれているのが判りましょう。
家康最後陣地など、もう目の前ですよ。
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右に目をやれば、横に並んだ西軍の陣地。(↓の写真)
真正面の松尾山(292.9m)には、東軍勝利のターニングポイントを握った、
裏切りくんの小早川秀秋の陣地がオワシマシます。
彼の陣地に向かって参戦を呼びかける狼煙を何度もあげながら、
それでも動かぬ秀秋に、光成は何を思ったのでしょうか。
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それでは、その松尾山に登ってみる事にしました。
小早川秀秋の陣地跡に行くには、山道を登らねばなりません。
登山口の駐車場には、専用の駐車場があります。(↓の写真)
ソコにクルマを停め、、、、
いざ! 松尾山へ!
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