令和10連休、四国を彷徨う我が家ですが、
この日は、別子銅山跡へ。
別子銅山は、1973年に閉山された、日本を代表する銅の鉱山です。
深い山の中に残された施設の跡地が、新聞によって
「東洋のマチュピチュ」などと紹介されて注目され、、
観光スポットに生まれ変わりつつあるようです。
ジックリと廃墟系を堪能しようぢゃないですか。
別子銅山跡は、2つのエリアに分かれます。
東平(とうなる)エリア:
主に廃墟系、朽ち果てた設備を観察する。
山の奥。
端出場(はでば)エリア:
再現された坑道を堪能。遊園地チック。
山を下りたところ。
まず、我が家が向かったのが東平エリアです。(↓の写真)
早朝から行動する為、施設の開館時刻を気にせずに見学できるほうを選んだ次第です。
そこへの道中は、すれ違い困難なクネクネ狭路、、、
四国ではオナジミですね。
それだけに、道が混むとヤバいんですって。
そういう道の運転に自信の無い方は、、、、
端出場エリアの道の駅「マイントピア別子」から、
ガイド付きのバス(有料)をご利用ください。
ムリに入って来られると、メイワクです。
これが別子銅山のシンボル、、貯鉱庫跡(上部)と索道停車場跡(下部)、です。(↓の写真)
ホンモノのマチュピチュの規模には適いもしませんでしょうけれど、、
それでも、威風堂々たるカンロクは感じます。
実際に、至近を歩き回れるのも良いですね。
このようなトンネルも、多々ありました。(↓の写真)
これは小マンプ。
マンプとは、云わばトンネルの事だと思われ、
坑道を意味する「間符」が語源なのだそうです。
通路用の他にも、火薬庫などもありました。
これは第三変電所跡。(↓の写真)
なかなか味がある建物ですよね。
1904年、、、明治37年の完成だそうです。
明治、、、もう4つも前の元号になちゃいましたね。
この建物、中にも入れるんです。
実際の変電所としての設備は見当たらず、
ココで働く人々の宿舎という感じですね。(↓の写真)
そのまま放置されている畳もありました。
ココがキッチン、、、と言うか、カマド。(↓の写真)
イヤでも時代を感じちゃうぢゃないですか。
在りし日は、ココで沸かしたお湯でカップ麺でも作りましたでしょうか。
バカを言うな? いえいえ。。
カップヌードルの登場は1971年。コチラは1973年の閉山ですから、
ギリギリで有り得た光景かもしれませんですよ。
床には、やたら古めかしいビール缶が落ちていました。(↓の写真)
これは、 1958年(昭和33年)に発売された、アサヒゴールド」かと思われます。
計画的に展示されている訳ではなさそうですが、
こうなってくると、ゴミも遺産ですね。
貯鉱庫跡に入ってみました。(↓の写真)
掘られた銅の鉱石を、一時置きしておく場所です。
ビシっと積み上げられた石垣がリッパで、
古き良き時代のコダワリを感じざるを得ません。
これらだって、廃墟にするツモリで造られたモノではないですよ。
大真面目に造られ、稼動し、そして日本の産業を支えていたのでしょうね。
これは、鉱石を運搬する索道の土台だそうです。(↓の写真)
今で言うロープウェイ、、、といっても荷役用のカゴですが、
端出場まで繋がっていたんですって。
かなりコナレていますから、説明が無きゃ全く判りませんです。
とにかくデカいですよ。(↓の写真)
石見銀山の清水谷精錬所跡のデカさにはタマゲましたが、
それどころではありませんですね、コチラは。
このような山奥に、従業員と家族を合わせて5000人も住んでいたそうです。
コチラは、従業員の皆様の社宅跡。(↓の写真)
長屋風の建物が2段の敷地に2棟ありました。
朽ち果てた木造建屋を再現したみたいですが、
その再現レプリカも朽ちてしまった感じです。
基礎だけが当時のモノなのでしょうね。
5000人が住むには小さすぎるようにも思えました。
別子銅山内の位置関係は、こんな感じです。(↓の写真)
ピンクの実線は、別子鉱山鉄道上部線。
右側の通洞から掘られた鉱石を運ぶ訳ですね。
鉱石は、石ヶ山丈停車場で緑色の索道に積み替えられて谷を渡り、
今度は別子鉱山鉄道下部線(ピンクの点線)で、新居浜の港まで移送されたそうです。
鉱石だけでなく、鉱山関係の人間も運んだんですって。
説明図と実際の景色とが重なる仕組みのボードがありました。(↓の写真)
汽車ポッポの絵が、別子鉱山鉄道上部線。
写真では判り辛いですが、、、、、
よくぞソコに線路を敷いたなと思うような斜面です。
これが当時の写真。(↓の写真)
なんだかムリヤリすぎちゃってませんか?
まるでディズニーのアトラクションみたいですよ。
ぶるぶる。。
東平歴史資料館が10:00の開館時刻になりました。(↓の写真)
それでは見学しましょうか。
アリガタい事に、無料です。
資料館の中に、別子銅山のジオラマがありました。(↓の写真)
↑の地図と比較してみてくださいな。
黄色いラインが別子鉱山鉄道上部線。
そして赤いラインが別子鉱山鉄道下部線。
赤の左端が、マイントピア別子のある端出場エリアになります。
鉄道は2つに分離されていますが、、
上部線のSLや貨車は、どうやって運び入れたのでしょうか。
ちなみに、、、、、
上部線の線路跡までは、第三変電所跡から徒歩40分ほどで行ける模様です。
登山道になりますので、それなりの装備でお出かけくださいませ。
これら鉄道が敷かれる前は、鉱石を人力で運んだ訳ですが、、
その体験コーナーがコチラ。
30kgの荷物を積んだ背負子です。(↓の写真)
男は45kg、、、女でも30kgを背負ったんですって。
コレを担いで山道を歩いた訳ですよね。
ほとんど、丹沢チャンプさんの世界ですよ。
お土産物コーナーも、当時のレンガ建てを活用しています。(↓の写真)
鉱山の保安部だった建物なんですって。
コチラ「東平マイン工房」では、銅細工の販売だけでなく、、、
銅板レリーフなどの製作体験もできるそうです。
それでは、、端出場(はでば)エリアに移動しましょうか。
コチラ東平エリアも、時間の経過と共に激しくニギワってきましたし、
下は、もっとタイヘンな事になっていそうな気がしますが。。
マイントピア別子 公式サイト(東平エリア):
https://besshi.com/sangyoisan/tonaru/
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