北アルプス・剱岳2999m。
ワタクシが登頂してから、もう18年も経ってしまいました。
剱岳は、wikiによりますと
「(日本国内で)一般登山者が登る山のうちでは危険度の最も高い山」
とある山なんです。
ワタクシごときがソコに挑んだのは訳がありまして、、
その山で逝った、実の弟の弔いの為でした。
弟が命を失ったのは、、正月の剱岳。
所属していた山岳会はヒマラヤ遠征を目指していまして、
ソレに向けた事前訓練として厳冬期の剱岳が選ばれ、
そのメンバーの中に弟も加わっていたんです。
悪天候の中、山頂付近で幕営・沈殿し、、、
天候が回復した朝、早月尾根を下り始めた直後、
カニのハサミ付近で滑落したとの事でした。
危険個所なだけにロープを繋いでおらず、単独での落下。。
出発前からアイゼンの不調を訴えていたそうで、
そのあたりに要因があったのかも知れません。
即死でしたが、その日のうちにヘリで引き上げられたのが幸いでした。
1年後、早月尾根の登り口・馬場島で行われた慰霊祭には出向いたものの、
地元政治家の大風呂敷演説を聞かされただけで、どうにもスッキリしませんでした。
やはり、滑落現場である剱岳、、、あわよくばカニのハサミをこの目で見たかったんです。
もちろん冬の剱岳なんてムリですよ。
後を追いに行くツモリではありませんから。
でも、夏山であっても、、、
ドシロートのワタクシが、一人でフラっと行ける場所ではないでしょう。
そんな感じで、、、願いが叶わないまま何年も過ぎて行ったんです。
バイク仲間とのキャンプの際、酒のサカナにそんな話をしたら、、
「じゃあ行こうよ! キマリ!」
ツルの一声でケツを押してくれたのは、豊田組・女子登山隊長のMARIちゃんでした。
即座に5人のメンバーを召喚し、ワタクシを剱岳に送り込む遠征隊を組んでくれたんです。
計画は、こんな感じです。
初日:
室堂→立山→別山→剣山荘(泊)
2日目:
剣山荘→前剱→剱岳→剱御前小屋(泊)
3日目:
剱御前小屋→剱御前→雷鳥沢→室堂
荷物を減らす為に小屋泊まりとし、比較的ユッタリとした行程を組んでくれました。
天候にも恵まれ、事故も無く剱岳に登頂!
早月尾根を少しばかり下り、カニのハサミらしき地点にも到着する事が出来ました。
猛進・重戦車、、MARI隊長。
影の隊長、ビーサンの魔術師、、Poi副隊長。
雲上の料理人、、、ピエール炊事班長。
幻のザトペック登山法、、、Todo救護班長。
体は細いが力持ち、、、、Bataボッカ専務。
ありがとう! みんな!
あの熱い登頂の瞬間から18年も経ってしまいましたが、、
この恩は、一生忘れませんですとも。
詳細:(ワタクシのメインサイトです)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~ogihima/menu/menu5/turugi/tsurugi.htm
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この記事へのコメント
poi
おぎひま
月日は経って、、みんな家庭持ちになっちゃいましたね。
今でも、あの頃の体力があれば、、
そう思うばかりです。。