有田陶器市を後に、、、
次に向かったのは、伊万里湾に浮かぶ鷹島。
2009年に開通した鷹島肥前大橋によって、九州本土と結ばれました。
橋の本土側は佐賀県ながら、鷹島は長崎県松浦市に属します。
この島が歴史の表舞台となったのは、740年ほど前。
2度にわたる元寇の、最終決戦の場となったのだそうです。
本土側から眺めた鷹島肥前大橋がコレです。(↑の写真)
その向こうに見える陸地が鷹島ですね。
橋の長さは1251m。
コレが完成するまでは、鷹島には松浦側からフェリーで渡るしかありませんでした。
フェリーは今でも運行しているものの、、、1日に2往復のみ。
やっぱり橋が便利ですね。
島の観光スポット「鷹島モンゴル村」に行くのも、さぞや便利になった事でしょう。(↓の写真)
ゲル(モンゴル式のテント)や温泉などがあり、楽しそうですが、、、
時間が無いので、今回はパスしました。。
島の北側、モンゴル村の近くの「元寇記念之碑」に向かってみました。
高台にありまして、かなり眺めが良いです。(↓の写真)
コチラは平戸島方向になりますが、、、
どれがソレだかはよく判りません。。
アッチもコッチも島だらけなんですもの。
元寇記念之碑の前で、日本軍 VS 元軍の戦いを再現する二人たち。(↓の写真)
さりげなくアフォです。。
元寇と呼ばれる戦いは文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)の2度。
ワタクシが中学・高校で習ったのは
「圧倒的に強くて優勢だった元軍は、、2度とも神風が吹いて崩壊」
なんてイメージでしたが、、、実際は違うんですね。
wikiや歴史書を読むと、元軍の完全な自滅ではなく、、
軍事面でも日本軍の勝利みたいです。
簡単にまとめますと、、
文永の役:
元軍、対馬・壱岐を制圧した後、博多湾に上陸。
↓
序盤は一方的に侵攻し、陣地を築く。
↓
態勢を立て直した日本軍に押し戻され、船に退却。
↓
日本侵攻を断念し、帰還の途中で嵐にあって壊滅。
↓
総勢3~4万人中、半分近くが未帰還。
弘安の役:
元軍、前回を遥かに上回る15万人の勢力で参上。
↓
またまた対馬や壱岐で、やりたい放題。
↓
博多湾への上陸を目指すも、準備万端の日本軍に撃退される。
↓
仕方なく鷹島を襲撃・占領し、ソコに拠点を築く。
↓
そこに台風が襲来。船の大半を失う。
↓
元軍、残った船にエラいヒト順に乗り込み、下級兵を置き去りにして退散。
↓
10万人の元兵が、鷹島に取り残される。
↓
攻め寄せてきた日本軍によって、なすすべもなく全滅。
こんなアンバイなんです。
特に、弘安の役は凄惨だったでしょうね。
鷹島に置き去りとなった元兵は、補給路も退路も無く、そして指揮官も居らず、、
戦闘と言うよりも、日本軍による一方的な殺戮に近かったのではないでしょうか。
元兵らは対馬・壱岐・鷹島などで非戦闘員を含めた日本人を虐殺してきたのですから、
一方的な被害者とは言えませんけどね。
とにかく10万人もの元兵は、日本軍の手によって命を落とした訳ですよ。
ソレをボカして
「元軍は勝手に攻めてきて、勝手に(神風で)自滅」
そんなストーリーのほうが聞こえが良いのかもしれませんね。
いずれにしても、昔も今も戦争ってのはイヤなものです。
そんな凄惨な歴史を感じさせないノドカな鷹島、、、
再び、その眺望を楽しみましょうか。
元寇記念之碑のある丘から見下ろす鷹島肥前大橋。(↓の写真)
なかなかダイナミックな景観ぢゃないですか。
この日は天気が良く、、、
海の向こうに浮かぶ壱岐がクッキリと望めました。(↓の写真)
その後方には、薄っすらと対馬も見えています。
さらに後方は、(見えませんが)祖国に繋がる朝鮮半島に続く訳でして、、
取り残された元兵達は、どんなキモチでソレを目にした事でしょうか。
コチラは、鷹島歴史民俗資料館。(↓の写真)
展示物は、元寇に纏わる内容が大半でした。
ココでも、元寇の戦いを再現する二人たち。
何気に、そのシュチュエーションが気に入ってしまった模様です。
やれやれ。
隣接する鷹島埋蔵文化財センターには、
海底から回収された元軍の船のパーツ類が展示されていました。(↓の写真)
ずっとずぅぅぅっと海水に漬かっていた木材を大気に晒すとボロボロになってしまうのでしょうか。
アレもコレも水槽に漬けられているんです。
なんだか、養殖場のイケスみたいですね。
民俗資料館と埋蔵文化財センターの駐車場内に展望台がありまして、
ソコに、望遠鏡のようなモノが用意されていました。(↓の写真)
もしかして、コレは無料でしょうか?
100円を入れる投入口がありませんもの。
どれどれ・・・・
ややや!
コレは望遠鏡などではありません。
おびただしい数の元の軍艦が、まさに沈みかけている絵・・・
ソレと実際の風景とが重なって見える仕組みですよ。(↓の写真)
当時の光景を想像せよ、、、という事なのですね。。
このアナクロさ、、、好きです。。
再び鷹島肥前大橋を渡って鷹島を後にし、、、、
この日の宿がある、いろは島を目指しました。
その途中に目に入ったのが、、「浜野浦の棚田」。(↓の写真)
いわゆる千枚田というヤツですね。なかなか絶景ですよ。
実際には283枚もの田んぼが幾重にも重なっているんです。
この「浜野浦の棚田」は、農水省が選定した「日本の棚田百選」にもランクインしています。
耕して天に至ると言われる光景、、、すばらしい!
なお、ココと同じく唐津市内にある「蕨野の棚田」は、、
農水省によって「国の重要文化的景観」にも選ばれているそうですよ。
ただし、、、蕨野は完全なる内陸地。
山から海に至っている分だけ、コチラ浜浦野のほうが絵になるように思えるのですが。(↓の写真)
棚田を降りきった所に、宿がありました。
「国民宿舎 いろは島」です。(↓の写真)
宿の敷地のハジッコに、小さなピラミッドがありまして、、、
「ほいきたの塔」なる名前が刻まれていました。
なんだか、フットワークが良さそうなネーミングですね。。
ほいきたの塔、、、この周辺の集落名のアタマの文字
ほ・・星賀
い・・入野
き・・切木
た・・田野
の・・納所
それに由来しているそうです。(↓の写真)
昭和62年当時の郷土の姿を示すモノを埋めたタイムカプセルで、、
開封予定は30年後、、、と言う事は、来年(2017年)ですな!!
ううむ。あと1年早く埋めてくれていたら、、、
感動の場面に遭遇できたかもしれません。
国民宿舎いろは島は、ちょっと設備がコナレているものの、、
プライベートビーチを持った、なかなか好立地な宿ですよ。(↓の写真)
ぜひとも、夏場に来たいところです。
イカ満載の料理、、料理フロは温泉だったりしますし。
そして、決して高くないのもイイですね。
我が家の場合、、、、
GW料金で、1泊2食7880円(大人一人当たり。税込み)ですもの。
宿の前に広がるのは、いろは島の光景です。
そういう名前の島がある訳ではありません。
数多くの島々が並ぶ姿を、「いろは48文字」に例えたのでしょう。
命名は弘法大師とのイイツタエで、、、(↓の写真)
ホントに忙しいヒトですね。。
島の数は、ホントに48だと紹介しているサイトもありますが、、、
実際のところ、どうなんでしょうね。
正確に数えようとすると、島と岩との切り分けがムツカシい事になりそうです。
おっと、国際政治問題に発展しそうなので、やめときましょう。
(お宿編に続く)
タイトルの「いたちょこ」とは、、、、
佐賀の言葉で「行きましょう」という意味です。
この記事へのコメント