カップラーメン紀行【4】横浜「六角家」編

このシリーズ第4弾は、家系の老舗・六角家です。
創業者は家系の元祖「吉村家」で修行を積んだ御仁で、、
そういう意味では、本格的な家系ラーメンだと言えましょう。
それだけに、、、
あの家系独特のマッタリ感が、カップ麺で出せるのかが疑問ですね。
なお、これは第3弾までの日清食品ではなく、、
明星食品の商品です。
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中身は、こんな感じです。(↓の写真)
液体スープ、粉末スープ、かやく、、、、
そしてノリがついていました。
家系と言えば、ノリは必須ですもんね。
かやくの中には、フリーズドライされたホウレンソウのカタマリも。
これがなくては家系と言えません。
角型のチャーシューも然り。。
ここまでは、キッチリと家系を踏襲していますよ。
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熱湯を入れて5分、、、
これまでで一番長い調理時間なのは、家系を意識しての太麺だからでしょうか。
で、完成したのがコチラです。(↓の写真)
さっそく、、、一番の懸念事項であるスープを。。。
んんんん。おしい。
オイシイぢゃないですよ、惜しいんです。
確かに、ソレらしさはあるものの、、、、明らかに迫力不足。。
近頃、次々と誕生した家系の店ってライトな方向性が目立ちますが、
それらのどれよりもライト、、、どうしましょレベルなんです。
家系チックな注文方法で言えば、「薄め」「アブラ抜き」ってな感じでしょうか。。
麺は(カップ麺にしては)相応なストロングさがあるだけに、、、
とにかく惜しいんです。
やはり、家系のカップ麺化はムリがあるのでしょうか。
ま、まあ、ソレの風味は楽しめますよ。
割り切って食べれば上等! そんなところです。
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さて。横浜の紀行ネタですか。
東京に近すぎちゃって「紀行」って感じはありませんね。。。
ならば、思いっきり遠い昔の思い出話でも。
まだまだワタクシが子供(小学生)だった頃、、
父親が運転するクルマに家族で乗り込み、横浜観光に出向いたんです。
マリンタワー、氷川丸を見学し、中華街でメシを喰う計画でした。

クルマは首都高羽田線、横羽線を乗り継ぎ、一路横浜へ。
まだ湾岸線なんぞ存在しない時代でしたもの。
その時代、、、、窓からは、ひたすら海が見えていましたよ。
並走するモノレールが、ちょうど海岸線だったでしょうか。
今や、海はずいぶん遠くに行ってしまいましたね。
羽田空港を過ぎると、、、、京浜工業地帯。
夕闇の中、炎を上げてる煙突が次々と姿を現し、、、
コレが工業日本だぁ! などと激しくカンゲキしましたねぇ。

喧騒の中華街に入り、、たぶん、その場で飛び込んだ中華料理店。
今から思えば小さな店ながら、、、当時はオソロシく高級な店に思えましたっけ。
中華独特の、回るテーブルも初めてでしたもの。
注文は、、蟹玉と、あと2皿ぐらい。貧しかったんです。(今もですが)
それでも大ゴチソウですよ。うんうん。
店先にぶら下がっていた豚のカタマリだって、ゴチソウ感を後押ししてくれた事でしょう。

横浜マリンタワーにも登ったハズながら、、イマイチ記憶がありません。
当時は、みなとみらいも存在せず、、横浜で一番高い建物でしたね。
世界で一番高い灯台とのフレコミもありました。
今では、灯台としての機能は廃止されたみたいですが。
展望台としての機能も、10年前に営業終了したそうです。
(2009年に、リニューアルオープンしたとの事)

氷川丸も、乗ったなぁってな程度の記憶しかないのが悔しく、、、
一年半ほど前に、我が家の二人たちを連れて再訪してみたんです。
その時の様子はコチラをご覧くださいませ。
往年の豪華客船の見学と言うよりは、、、
特にマナムスメは、遊園地感覚で船内を走り回っていました。
そんな光景を、ついつい親BAKA目線で微笑ましく眺めていましたけれど、、
年齢からすると、、当時のワタクシも同じような行動だったに違いありません。
きっと親父もオフクロも、生暖かい視線でワタクシどもを見守ってくれていた事でしょう。

【その3】博多「一風堂」編
【その5】江戸川区船堀「大島」編

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