震災後の浦戸諸島【4】潮陽館と巨大堤防、、寒風沢島2(宮城県塩釜市)

浦戸諸島では一番大きな島である寒風沢島(さぶさわじま)。

我が家は、この島の民宿にお世話になりました。

桟橋近くの「潮陽館」という宿です。

ちなみに、、、、

浦戸諸島で宿泊施設が現存しているのは、この島と桂島だけです。

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この島も、かつては数軒の民宿があったそうですが、、、

現在営業しているのは、、コチラ潮陽館と外川屋の2軒だけです。

あとは、、、存在すら確認できません。

ネット上では3軒ほど確認できるお食事処も同様で、、、

建物からして消滅していました。

津波にヤラレたのと、震災後の過疎化が要因だと思われます。

見た限り、営業している商店も無く、、、モノが買えるのは、、、

外川屋の前のジュースの自販機と、工事現場の同自販機、、、

それだけなんですよ。


潮陽館の室内は、こんな感じです。(↓の写真)

我が家の他に宿泊客はおらず、、2間続きで使わせて頂けました。

トイレは洋式水洗、、、風呂は小さいですけれど清潔で、、

もちろん部屋はオーシャンビュー。

望む海は、まるで川のような光景ですが、、、それは宿の責任ではありません。

コザッパリした宿ながら、なかなかイゴコチは良好ですね。

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バンメシは、こんな感じです。(↓の写真)

お刺身、煮物、揚げ物、、、オサカナの3点セット、、、

島の宿ですから、コレは必須ですね。アリガタいです。

そして、、、、巨大なワタリガニ。。

マナムスメにも、まるまる1匹が配給されました。

コドモにも、キチンとカニを食べられたかですって?

ダイジョーブです。

宿のオバチャンが、手取り足取りで食べ方をお世話してくれましたから。

タップリなカニミソを含め、、食べられる部分は完全消滅ですよ。

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アサメシは、素朴そのもので嬉しくなっちゃいますね。(↓の写真)

この後に出てきたアラ汁も、ウマい事ンマい事。

そして、、オトナにもヤクルトが支給されました。

予想通り、、、マナムスメに飲まれちゃいましたけどね。。

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一夜明け、、、

この日は桂島に泊まる予定ですから、潮陽館とはコレでお別れ。。

オバチャン、お世話になりました。(↓の写真)

コチラ潮陽館も津波に呑まれ、、、

オバチャンによれば、長男坊のアタマあたりまで水に浸かったんですって。

玄関のサッシには、水流にヤラレた傷跡も残っていました。

建物本体は崩壊を免れたものの、、後の掃除が一苦労だったそうです。

また、震災に伴う地盤沈下で建物は歪み、、、

ズレた瓦からの雨漏りもタイヘンだったとか。。

とにかく、ご家族が無事だっただけでも幸いでした。。

寒風沢島では、3名の犠牲者が出たとの事です。

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この日の探索は、、、まずは「造艦の碑」。(↓の写真)

寒風沢島は伊達藩の重要な港だったそうでして、、

ココで、「開成丸」という西洋式の軍艦も建造されたんですって。

ソレを記念しての石碑がコレですね。

進水式には藩主自らも出向いてきて、大変な盛り上がりだったとか。

今の静寂さからは、想像もできませんが。

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造艦の碑からすぐ近く、、

ササっと丘を登ったところにあるのが「日和山展望台」。

ココも、島では大事な観光スポットです、、、、が!!

ああオイタワシや。。。崩壊してますよ。。(↓の写真)

震災の影響なのでしょうけれど、、、

復旧は、まだまだココにまで手が回らないんでしょうね。。

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それでも、眺めはバッチリです。(↓の写真)

展望台としての機能は十分ですよ。

野々島と、珍岩奇岩の小島たち、、、

ああ絶景かな絶景かな。

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展望台には、しばり地蔵さまもオワシマシました。(↓の写真)

港として栄えた当時、、、

島を離れるマドロス、、、そういう言い方はしなかったでしょうが、、

とにかくそういうオトコ達との別れを惜しんだ島の遊女が、

地蔵を縛って荒天による船の欠航を祈願したんですって。

なんともイヂらしいハナシぢゃないですか。

でも、、お地蔵さんは困ったと思います。。

「なんでオレ?」ってな感じで。

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もう一つ、展望台にあったのが「十二支方角石」というモノ。(↓の写真)

正確な方位を示す為に設置された碑で、、、

重要な港には、そういうモノも必須だったのでしょう。

時代が時代ですから、方角は「子、丑、寅、、」の十二支で表されてます。

それぞれ、自分の干支を指さす二人たち。。

本来の碑の役割は、全く判ってないでしょうね。。

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展望台から、尾根沿いに南下するハイキングコースがありました。(↓の写真)

砲台跡に続く道ですね。

キチンと整備されたルートながら、、、

クモの巣をケチらしながら進まねばなりません。

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で、ココが砲台跡。

伊達藩が、3門の大砲やら弾薬庫を設置した場所との事でして、、

今は、それらの痕跡は残っていません。

ココも日和山展望台に負けず劣らずのビューポイントですね。(↓の写真)

でも、、、、

眺めがイイだけに、あまり見たくないモノまで見えてしまいました。。

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それは、、、島では元屋敷浜と1、2を争うロングビーチの前浜。(↓の写真)

寒風沢海水浴場と紹介されている場所ですね。

遠浅で、海水浴や潮干狩りの人気スポットだったのに、、

その浜が、堤防工事によって消滅しようとしているんですよ。

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砲台跡から、、その現場に下りてみると、、(↓の写真)

まさに、巨大堤防が作り始められていました。

宿で貰った島の観光パンフレットは、、、

寒風沢島でのアクティビティーが紹介されているコーナーの

「潮干狩り」の文字が黒いマジックで塗り潰されていたんです。

浜がこんな状況では、そりゃムリでしょう。海水浴も。。

何とも正直な行為ながら、、関係者は、どんなキモチでスミヌリをしたのやら。。

閉鎖されてしまった民宿名もスミヌリされていたものの、、

廃業の要因は、津波の直接的な被害だけでは無いようにも思えます。

民宿のオバチャンは

「堤防が完成したら、また砂浜に戻す工事をするんですって」

などとノタマっていましたが、、そんな事、ホントに可能なのでしょうか。。

晴れて堤防が完成したら、、、ソレによって守られる民家は、、、

現状、、1軒も見当たりません。

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前日に辿り着けなかった、元屋敷浜を潰した堤防に出向いてみました。(↓の写真)

湿地地帯をウマくすり抜け、どうにか辿り着いてみると、、

真新しいコンクリの要塞、、、リッパなモノですね。ホントに。。

これによって守られる民家も、1軒も無いと言うのに。。

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海側を見ると、こんな感じです。(↓の写真)

延々と連なるコンクリが、砂浜だった訳ですね。。

完成後は砂浜に戻すんぢゃ無かったんですか?

この構造的には、おそらくムリですよ。

そりゃ何百年後の姿は判りませんが。


津波の際に島の田畑が波をかぶり、その復旧がタイヘンだった事実もあったそうです。

それらを守る為には、これらの堤防が機能するかもしれません。

農業VS観光業、、そんな図式になるのもナニながら、、

復興は、島の人々の総意どおりの姿になるべきなのでしょうね。

ヨソモノのワタクシが四の五の言うのは無益ですもの。

ただし、後に別の島で、、、、

島民の声に耳も貸さない押し付け復興、、ソレにフンガイする声も聞きましたよ。

これは油断がなりません。

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昼前には渡船で野々島に渡るツモリなので、、、

寒風沢島での探訪も大詰め。。

最後の観光スポット、「化粧地蔵」に。(↓の写真)

建設中の復興住宅の、すぐ裏手にありました。

お地蔵さまに化粧をすると、コギレイな子供が生まれるんですって。

我が家のマナムスメにも、ご利益はありましょうか。

えっと、さっそく化粧を、、、、

エッ? 持ってきていない?

ウチのカミさんは、スッピン美人ですもの。。。

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コチラは、同じ境内にある「延命地蔵」。(↓の写真)

字の通り、長生きを祈願するお地蔵様ですな。

このご利益、、長男坊には必要無いかもしれません。

だって、、、、

ナニなヒトは長生きするって言いますから。

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桟橋に戻り、、、、

これで寒風沢島とはオワカレです。。

デンワで市営の渡船(無料)を呼び出し、、、ソレで島を後にしました。

渡船は、我が家の貸し切りです。

たまたま市営汽船が到着と重なったので、ニギワう桟橋、、、(↓の写真)

下船してきたのは、大半が工事関係の業者でした。

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