浦戸諸島では一番大きな島である寒風沢島(さぶさわじま)。
我が家は、この島の民宿にお世話になりました。
桟橋近くの「潮陽館」という宿です。
ちなみに、、、、
浦戸諸島で宿泊施設が現存しているのは、この島と桂島だけです。
この島も、かつては数軒の民宿があったそうですが、、、
現在営業しているのは、、コチラ潮陽館と外川屋の2軒だけです。
あとは、、、存在すら確認できません。
ネット上では3軒ほど確認できるお食事処も同様で、、、
建物からして消滅していました。
津波にヤラレたのと、震災後の過疎化が要因だと思われます。
見た限り、営業している商店も無く、、、モノが買えるのは、、、
外川屋の前のジュースの自販機と、工事現場の同自販機、、、
それだけなんですよ。
潮陽館の室内は、こんな感じです。(↓の写真)
我が家の他に宿泊客はおらず、、2間続きで使わせて頂けました。
トイレは洋式水洗、、、風呂は小さいですけれど清潔で、、
もちろん部屋はオーシャンビュー。
望む海は、まるで川のような光景ですが、、、それは宿の責任ではありません。
コザッパリした宿ながら、なかなかイゴコチは良好ですね。
バンメシは、こんな感じです。(↓の写真)
お刺身、煮物、揚げ物、、、オサカナの3点セット、、、
島の宿ですから、コレは必須ですね。アリガタいです。
そして、、、、巨大なワタリガニ。。
マナムスメにも、まるまる1匹が配給されました。
コドモにも、キチンとカニを食べられたかですって?
ダイジョーブです。
宿のオバチャンが、手取り足取りで食べ方をお世話してくれましたから。
タップリなカニミソを含め、、食べられる部分は完全消滅ですよ。
アサメシは、素朴そのもので嬉しくなっちゃいますね。(↓の写真)
この後に出てきたアラ汁も、ウマい事ンマい事。
そして、、オトナにもヤクルトが支給されました。
予想通り、、、マナムスメに飲まれちゃいましたけどね。。
一夜明け、、、
この日は桂島に泊まる予定ですから、潮陽館とはコレでお別れ。。
オバチャン、お世話になりました。(↓の写真)
コチラ潮陽館も津波に呑まれ、、、
オバチャンによれば、長男坊のアタマあたりまで水に浸かったんですって。
玄関のサッシには、水流にヤラレた傷跡も残っていました。
建物本体は崩壊を免れたものの、、後の掃除が一苦労だったそうです。
また、震災に伴う地盤沈下で建物は歪み、、、
ズレた瓦からの雨漏りもタイヘンだったとか。。
とにかく、ご家族が無事だっただけでも幸いでした。。
寒風沢島では、3名の犠牲者が出たとの事です。
この日の探索は、、、まずは「造艦の碑」。(↓の写真)
寒風沢島は伊達藩の重要な港だったそうでして、、
ココで、「開成丸」という西洋式の軍艦も建造されたんですって。
ソレを記念しての石碑がコレですね。
進水式には藩主自らも出向いてきて、大変な盛り上がりだったとか。
今の静寂さからは、想像もできませんが。
造艦の碑からすぐ近く、、
ササっと丘を登ったところにあるのが「日和山展望台」。
ココも、島では大事な観光スポットです、、、、が!!
ああオイタワシや。。。崩壊してますよ。。(↓の写真)
震災の影響なのでしょうけれど、、、
復旧は、まだまだココにまで手が回らないんでしょうね。。
それでも、眺めはバッチリです。(↓の写真)
展望台としての機能は十分ですよ。
野々島と、珍岩奇岩の小島たち、、、
ああ絶景かな絶景かな。
展望台には、しばり地蔵さまもオワシマシました。(↓の写真)
港として栄えた当時、、、
島を離れるマドロス、、、そういう言い方はしなかったでしょうが、、
とにかくそういうオトコ達との別れを惜しんだ島の遊女が、
地蔵を縛って荒天による船の欠航を祈願したんですって。
なんともイヂらしいハナシぢゃないですか。
でも、、お地蔵さんは困ったと思います。。
「なんでオレ?」ってな感じで。
もう一つ、展望台にあったのが「十二支方角石」というモノ。(↓の写真)
正確な方位を示す為に設置された碑で、、、
重要な港には、そういうモノも必須だったのでしょう。
時代が時代ですから、方角は「子、丑、寅、、」の十二支で表されてます。
それぞれ、自分の干支を指さす二人たち。。
本来の碑の役割は、全く判ってないでしょうね。。
展望台から、尾根沿いに南下するハイキングコースがありました。(↓の写真)
砲台跡に続く道ですね。
キチンと整備されたルートながら、、、
クモの巣をケチらしながら進まねばなりません。
で、ココが砲台跡。
伊達藩が、3門の大砲やら弾薬庫を設置した場所との事でして、、
今は、それらの痕跡は残っていません。
ココも日和山展望台に負けず劣らずのビューポイントですね。(↓の写真)
でも、、、、
眺めがイイだけに、あまり見たくないモノまで見えてしまいました。。
それは、、、島では元屋敷浜と1、2を争うロングビーチの前浜。(↓の写真)
寒風沢海水浴場と紹介されている場所ですね。
遠浅で、海水浴や潮干狩りの人気スポットだったのに、、
その浜が、堤防工事によって消滅しようとしているんですよ。
砲台跡から、、その現場に下りてみると、、(↓の写真)
まさに、巨大堤防が作り始められていました。
宿で貰った島の観光パンフレットは、、、
寒風沢島でのアクティビティーが紹介されているコーナーの
「潮干狩り」の文字が黒いマジックで塗り潰されていたんです。
浜がこんな状況では、そりゃムリでしょう。海水浴も。。
何とも正直な行為ながら、、関係者は、どんなキモチでスミヌリをしたのやら。。
閉鎖されてしまった民宿名もスミヌリされていたものの、、
廃業の要因は、津波の直接的な被害だけでは無いようにも思えます。
民宿のオバチャンは
「堤防が完成したら、また砂浜に戻す工事をするんですって」
などとノタマっていましたが、、そんな事、ホントに可能なのでしょうか。。
晴れて堤防が完成したら、、、ソレによって守られる民家は、、、
現状、、1軒も見当たりません。
前日に辿り着けなかった、元屋敷浜を潰した堤防に出向いてみました。(↓の写真)
湿地地帯をウマくすり抜け、どうにか辿り着いてみると、、
真新しいコンクリの要塞、、、リッパなモノですね。ホントに。。
これによって守られる民家も、1軒も無いと言うのに。。
海側を見ると、こんな感じです。(↓の写真)
延々と連なるコンクリが、砂浜だった訳ですね。。
完成後は砂浜に戻すんぢゃ無かったんですか?
この構造的には、おそらくムリですよ。
そりゃ何百年後の姿は判りませんが。
津波の際に島の田畑が波をかぶり、その復旧がタイヘンだった事実もあったそうです。
それらを守る為には、これらの堤防が機能するかもしれません。
農業VS観光業、、そんな図式になるのもナニながら、、
復興は、島の人々の総意どおりの姿になるべきなのでしょうね。
ヨソモノのワタクシが四の五の言うのは無益ですもの。
ただし、後に別の島で、、、、
島民の声に耳も貸さない押し付け復興、、ソレにフンガイする声も聞きましたよ。
これは油断がなりません。
昼前には渡船で野々島に渡るツモリなので、、、
寒風沢島での探訪も大詰め。。
最後の観光スポット、「化粧地蔵」に。(↓の写真)
建設中の復興住宅の、すぐ裏手にありました。
お地蔵さまに化粧をすると、コギレイな子供が生まれるんですって。
我が家のマナムスメにも、ご利益はありましょうか。
えっと、さっそく化粧を、、、、
エッ? 持ってきていない?
ウチのカミさんは、スッピン美人ですもの。。。
コチラは、同じ境内にある「延命地蔵」。(↓の写真)
字の通り、長生きを祈願するお地蔵様ですな。
このご利益、、長男坊には必要無いかもしれません。
だって、、、、
ナニなヒトは長生きするって言いますから。
桟橋に戻り、、、、
これで寒風沢島とはオワカレです。。
デンワで市営の渡船(無料)を呼び出し、、、ソレで島を後にしました。
渡船は、我が家の貸し切りです。
たまたま市営汽船が到着と重なったので、ニギワう桟橋、、、(↓の写真)
下船してきたのは、大半が工事関係の業者でした。
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