朴島から、市営の渡船(無料!)で渡ってきたのがコチラ。
浦戸諸島では最大の島、寒風沢(さぶさわ)島です。
最大と言っても、周囲13kmほどの島ですが。。。
レンタカーやレンタサイクルなどのタグイは一切無く、、
親に貰った2本の足で、さっそく探索しようぢゃないですか。
この島まで我が家を運んでくれたのが、渡船「第一うしお丸」。(↓の写真)
この桟橋から、朴島や野々島(学校下桟橋)まで運行しているんです。
携帯にデンワすれば、ソッコーで来てくれるのがアリガタいですね。
クドいですけれど、無料です。
すぐ対岸の野々島(学校下桟橋)は、まさに目の前ですよ。(↓の写真)
ソコが渡船の常駐場所で、、寒風沢から野々島に渡りたい場合、、
かつては鐘を鳴らしたり旗を振ったりして乗船希望を伝えたそうです。
なんとも牧歌的でイイぢゃないですか。
携帯で連絡する仕組みになった今でも、その痕跡は無いのかと探してみましたが、、、
鐘も、旗も見当たりませんんでした。。無念。。
で、うしお丸を降りると、、、、
朴島と同様、、コチラも桟橋前は工事現場の様相でした。。(↓の写真)
建設中の汽船の待合室、トイレ、、、
そして、仮設のプレハブ待合室が並んでいます。
見事にブチ壊れている護岸の桟橋、、、(↓の写真)
震災前は、今の浮き桟橋ではなく、、、、
ココから汽船や渡船が発着していたのかと思われます。
鐘や旗は、その際に持っていかれてしまったのでしょうか。。
気を取り直して、内陸方面に向かって南下してみました。
コレが、島の観光案内にも登場する六地蔵です。(↓の写真)
この島は伊達藩の港として、千石船が行き来するなど大いに繁栄したんですって。
なので、このような当時の文化的なモノが多々あるそうです。
多分に漏れず、、遊郭もニギワっていたそうですよ。コホン。。
地蔵から少々南下すると、、なんと広大な田園風景!(↓の写真)
もちろん、小さな離島にしてではですよ。。
雨水だけで耕作しているとの事で、なかなかタイヘンに違いありません。
品種はササニシキで、、、
「寒風沢米」なるブランドで出荷しているそうです。
オール天然水、そしてキレイな環境で育った米と言うのがコンセプトなのだとか。
コンバインの姿も見かけました。(↓の写真)
なかなか本格的ですよ。
やはり米作を行っている隠岐の中ノ島では、島であるが故の塩害を逆手にとって
「塩混じりの水で育てる、隠岐藻塩米」なるカンバンを掲げていましたね。
コチラでも、そんな苦労はあるのかしらん。
米の作付けが行われている境目、、、、(↓の写真)
右が海側、左が内陸側になります。
海側の土は、貝殻混じりのソレでして、、
もしかしたら、ココが津波被害の境界線なのでしょうか。
ドップリと海水に晒されたら、「塩混じりの水」どころでは無いですもんね。
単純に、計画的な生産調整かもしれません。。
島の北東部に続く道を歩いてみました。(一番↑の写真)
全く何も無い林間の舗装路で、軽いアップダウンを繰り返すうち、、、
小さな入り江で道は終点。。(↓の写真)
写真中央をデーンと横切っているのが防波堤で、その向こう側が海。
堤防の手前側は、意味不明の沼地のようになっているんです。
震災に伴って地盤沈下し、、
陸地側の水、そして防波堤を越えて来た波が一緒くたに堰き止められちゃってるんでしょうね。
足場パイプで作った桟橋があり、船が係留されていました。(↓の写真)
対岸に迫っている陸地は、宮戸島。
浦戸諸島の島々を全部足した面積の倍以上もある有人島で、、、
人口だって1000人を越えています。
ココから宮戸島までの距離は、100mも無いですよ。
なのに、、、宮戸島は浦戸諸島には含まれません。
浦戸諸島は塩釜市、宮戸島は東松島市に属しまして、、、
地形とは無関係に、行政区分が「諸島」の境界線ってのもフシギですね。
双方の島を行き来する船便もありません。
数十メートル先の宮戸島に渡るには、市営汽船で塩釜港まで戻り、、
陸路で塩釜市、利府町、松島町、東松島市を横断せねばなりません。
おそらく、海路を除いても30kmの道のりですって。
そりゃ不便だ! と思いつつ、、
どちらの市も、他の自治体を跨ぐ赤字航路など運行したく無いのでしょう。
まあ、運行したところで、利用者は殆どゼロでしょうね。
地元の人は、たぶんマイ漁船で渡っちゃいますから。
宮戸島側にも同じような足場パイプの桟橋があり、やはり船が係留されているんです。
まるで両島を結ぶ、マボロシの渡し舟みたいでした。
マボロシの航路からの戻り道、、、
またまたフシギな光景を見てしまいました。
民家も何も無い入り江で行われている、大々的な護岸工事、、、(↓の写真)
完成のアカツキには沼地が出来て、、、
雑草類のパラダイスとなりましょう。
寒風沢島の名勝地である、元屋敷浜を目指してみました。
この島の規模の割には長大な砂浜で、、潮干狩りのメッカなのだとか。
島の南部、田園地帯の奥にあるハズなのですが、、、
震災後に設けられた新しい巨大堤防によって、、砂浜は消滅していました。。
堤防の陸地側は、例によって湿原地帯となり、、、
休耕田のヌカルミ地獄から抜け出すべく、、右往左往する二人たち。。(↓の写真)
モンダイの堤防にさえ、近づく事が出来ないんです。。
翌日にリベンジを果たしましたが、、、その様子は続編で。。
ヌカルミを抜け、田園地帯を貫く道を逃走する二人たち。(↓の写真)
真っ直ぐな道を滑走路に見立てたのか、、、
ヒコーキのポーズで走ってます。
奥尻空港の旧滑走路で試みたGメンごっこを思い出しちゃいますね。。
逃走の果てに辿り着いたのは、塩釜市立浦戸第一小学校。(↓の写真)
もっとも、島には小学生が一人も住んでおらず、、、
すでに廃校となっています。。
島で一番のワカモノは、、たった一人の中学生。。
渡船で、隣の野々島の中学校に通っているそうです。
入り口から、急坂を登ったところに校舎がありました。(↓の写真)
廃校になったのは2004年との事ですので、、、
震災の影響よりも前から、過疎化のアオリを受けていたのでしょう。
校庭に並んでいるのは、仮設住宅。(↓の写真)
コチラは、いまだに現役です。
震災から、もう4年も過ぎているんですけどね。。
津波の心配のない高台を選んだのでしょうけれど、、、
高台すぎちゃって、桟橋との行き来はドエラくシンドそうです。。
コチラは、建設中の復興住宅です。(↓の写真)
朴島で建てられていたモノと同じデザインですから、同じ業者なのでしょうか。
そろそろ内装にも着手、、そんな進行状況でして、、
仮設に住む皆様も、もう少しの辛抱かも知れません。
桟橋から近い場所ですから、暮らしもラクチンになりましょう。
それでも、、、なんだか激しく遅すぎるような気がします。
無人の入江の護岸工事のほうが優先なんですかね。。
ウロウロしちるうちに夕方となり、、、、
この日の探索を終えて宿に戻りました。
宿の目の前は海峡、、、寒風沢島と野々島との間の海ですね。
ソコを、市営汽船とレジャーボートが連なるように航行していました。(↓の写真)
まるで川のような様相ながら、、、キッチリと海なんですよ。
その証拠に、このようなモノがありますもの。(↓の写真)
「寒風沢潮流発電所」とありまして、、、
潮の流れで発電機を回す訳ですね。
東京大学の実験プラントみたいです。
潮流を受ける部分がコチラ。(↓の写真)
2機のローターを回して、ソレを電気に変えているそうです。
震災後、島の電力の復旧には一か月を要したとの事で、、、
災害時にも活用できると期待されているんですって。
ただし、、発電電力は5KWだそうですから、、、、
フル稼働しても、同時に使える電力は家庭用電気ストーブ5台分程度ですね。。。
それが実際にどれだけ役立つのかよりも、この施設を元に大型化・実用化が叶えば、、、、
潮流発電のパイオニアといて、寒風沢島の知名度アップにも繋がりましょう。
ぜひぜひ、頑張って頂きたいものです。
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