負けるな! 新聞ハイターツ(赤松公園・世田谷区赤堤)

旧江戸川の河川敷で野球遊びをする、我が家の二人たち。
イイダシッペはマナムスメ、、長男坊とワタクシはお相手役です。。
マナムスメったら、カラダを動かす事が大好きで、、、
ま、まあ、コドモはそうぢゃなきゃダメですよ。
室内でDSばかりではイケませんって。
ワタクシどものコドモ時代は、ソレがアタリマエでしたね。
そもそも、そのようなゲームなど無かったですし。
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ワタクシが生まれ育った実家の近くに、「赤松公園」という公園がありました。
赤松の木が公園のシンボル、、、という事では無く、、
公園のある「赤堤」、隣接する「松原」、、一文字ずつを取って「赤松」なのです。
街中の小さな公園ながら、、、
それでも、自由に立ち入れる50m四方ほどのフェンス付きグランドがあり、、
コドモ達は、ソコで野球遊びをするのが常だったんです。
当時、サッカーは少数派でしたね。
とにかく、「コドモはヤキュー!」そんな時代ですよ。
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世間では平日にあたる、夏休みの朝、、、
弟と二人して、赤松公園に野球遊びをしに出向いた時の事です。
持って行ったのはすり減った軟球、オサガリのボロいグローブ、そしてプロ用の圧縮バット。
バットだけが抜きんでている印象ですね。
それは、、、、
横浜大洋ホエールズ(当時)2軍の本拠地だった川崎の等々力グランドにチャリで出向き、、、
ソコでイースタンリーグの試合を見た際、焚火用のドラム缶に捨てられていたヤツを拾ってきたんです。
グリップエンドに書かれていた背番号からすると、基(もとい)満男選手のモノだったと思われます。
ヒビが入っていたものの、コドモが遊ぶには申し分ない感じでしたし。

1人が投げ、1人がソレを打つ、、、
ヒットかアウトかは、打球の具合で決める訳ですね。
そんなインチキな試合をしていると、、、、
グランドに、10数台のチャリがドドドドドっとやって来ました。
どれもこれも、武骨な業務用のチャリ、、、
それは、新聞配達のオヂサン達でした。
朝刊の配達を終え、みんなで野球を楽しみに来たのでしょう。
オヂサンと言っても、、コドモから見たソレで、、多分20代ほどの連中だったと思われます。
「キミタチ、一緒に野球をやらないか?」
リーダー格と思われるオヂサン(お兄さん)が、我々に声をかけてきました。
先に遊んでいたコドモ(ワタクシたち)を追い出すのもナニでしょうから、、
ならば混ぜちまえ! ってな感じだったんでしょうか。
彼らはベースまで持参してきていまして、、、、
2チームに分かれ、(草野球としては)本格的な試合が始まりました。
ワタクシどももメンバーに加わえられたのの、アップアップな感じですよ。タマは速いし。。
コドモの野球では味わえないレベルですから、ソレはソレで楽しかったですけどね。
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白熱した展開の試合が続き、、ワタクシのチームの攻撃中。
リーダーがセカンドランナーで、次打者がヒットを放ったのです。
サードコーチに立っていたワタクシは、ちょっと厳しいかと思いつつも
「まわれまわれ」と本塁突入のゴーサイン。
リーダーは猛ダッシュでホームを目指すも、、やはり厳しいタイミングでした。
好返球を受けたキャッチャー、、ヘッドスライディングを試みるリーダー、、、
リーダーは巧みにタッチをかわしながら、イキオイ余ってフェンスの土台のコンクリートに激突!
見事に額が割れて、大流血の事態になったのでした。
所詮は狭いグランドなので、ホームベースをフェンスギリギリに置いていた結果です。

「ゴメンなさい。ムリなゴーサインを出して。。」
「そんな事ないさ。1点入ったろ? キミの判断は正解さ!」
などと言いつつも、アタマから血を流し続けるリーダー。。。
当然ながら試合どころではなくなり、、集まってくる仲間たち。。
「オイッ、医者に行こうぜ!」
「ダイジョーブだ! 試合を続けよう」
「ムリだって。医者! イシャ!」「そうだそうだ!」
「ヘーキだって言ってるだろう! 試合試合! 次は誰の打順だ!」
そんな感じで、リーダーは一歩も引こうとしないのです。
結局、、、、、
試合は残ったメンバーで最後まで続けると言う条件で、リーダーは1人で病院に向かったのです。
それでも、、、、ケガ人を出した直後ですから、、、
まるで5位と6位の最終戦のごとく、なんとも盛り上がらない試合となり、、、
目的は試合を終える事! ってな感じでゲームセットとなりました。
メンバーがポツリポツリと帰途につき、、、
そしてワタクシと弟だけが残された公園に、、、、、
包帯でアタマぐるぐる巻き、インド人化したリーダーがチャリで戻ってきたのです。
「よおっ、試合はどうなった?」
「コッチのチームが勝ちましたよ!」
「そうか、ソレは良かった」
笑顔を浮かべながら、何気に目がウツロなリーダ、、、、
「また一緒にやろうな、野球!」
フラフラとチャリで立ち去った後ろ姿、、、
それは、、ワタクシが見た、リーダーの最後の姿でした。
今、彼がどこで何をやっているのかは判りません。
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当時、、
「インテリが作って、ビンボー学生が配って、そしてヤクザが売り込む」
などと言われた新聞業界。
当時の配達員のワカモノ達は
「今は貧しいけれど、オレの人生、オレが切り開いたるぜぇ!」
みたいなバイタリティーにあふれていた感がありましたよね。
少なくとも、あのリーダー達にはソレを感じましたですとも。
我が家の二人たちも、そのガッツを見習って欲しいものです。
今、我が家の界隈の新聞配達は、ニィハオな方々ばかりですが。。

この記事へのコメント

  • 酒乱

    こんにちは。

    そのリーダーの話を聞いてると
    少年ジャンプで連載されてた「世紀末リーダー伝たけし」の主人公たけしを連想しちゃいます(笑)
    2014年12月13日 13:48
  • 龍ヶ崎

    わぁ! うれしい!
    子供達が二人で野球の遊び
    それに 歓喜しているのは
    わたくしだけでしょうか
    広い土手裾で 思いっきり
    かけまわるなんて 見ているだけで
    こっちも スッキリ気持ちよくなります。
    なんて 健康児達なんでしょう!
    冬に負けるな 自然児達よ
    これからの 日本を 元気に
    駆け回って ください。
    2014年12月13日 15:05
  • 龍ヶ崎

    それにしても 風化もせずに
    思い出には 無償の力が
    ありますね、ぁっ!そのリーダー
    何処にいるでしょう、
    向こうも 思い出して いろでしょうか
    思い出は宝物ですね。
    2014年12月13日 15:20
  • おぎひま

    酒乱さん、コメントありがとうございます。

    なるほど、まさにそんな感じかもしれません。
    やはりリーダー養成施設出身なのかしらん。。
    2014年12月14日 07:57
  • おぎひま

    龍ヶ崎さん、コメントありがとうございます。

    我が家の長男坊はリーダー的要素は皆無ながら、、、
    案外と、マナムスメはソレ系に育つかもしれません。
    いずれにしても、、タクマシく育ってもらいたく。。
    2014年12月14日 07:59

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