日光市のキャンプ場、、、、、
と言っても、山を隔てた足尾側なんです。
足尾町って、いつの間にか日光市に吸収されちゃっていたんですね。。。
それはともかく!!
更なる涼を求めて、つくば山麓のキャンプ場から移動して来ました。
四方を山に囲まれた、川沿いのサイト、、、、ね、ね、ね、涼しそうでしょ??
確かに激しく涼しいです。夜には長袖1枚だけでは肌寒いほどでしたよ。
バンガローをズラっと並べた広々としたフリーサイト、、、、
山中とは思えないユッタリ感がキモチイイぢゃないですか。
オートキャンプ場では無いものの、目と鼻の先が駐車場ですから何も不便はありません。
トイレは水洗で、洋式だってあります。
やたらロングな滑り台は、、、、残念ながら閉鎖されていました。。。
すぐ隣に国民宿舎「かじか荘」がありまして、ソコの風呂が使えます。
この風呂は「足尾温泉 庚申の湯」という天然温泉で、露天風呂もありました。
岩風呂を堪能するマナムスメ。。。。
ヨソのおフロでオトォチャンと一緒に入れるのは、今年までだからね。。。
この銀山平と言うところは、自然の地形ではありません。
サイト内にあった看板の説明によりますと・・・・・
明治時代に鉱山が開かれ、ソコから出る廃石を敷き詰めて平らな地形を作ったんですって。
やがて大規模な製材所が設けられ、足尾銅山で使う用材の生産拠点にもなったそうです。
最盛期には200人ほどが従事していたものの、、、
銅山が閉山した後は全てが廃止され・・・・
今や無人の平地となったとの事です。
銅山のシゴトはキツくてキケンだったのでしょうね。。
戦争末期に中国から連れてこられた労働者257人のうち、109人もが殉難するという出来事があったそうです。
↓の写真が、その労働者を慰霊する碑。
コチラのサイトの一角にありました。
銀山平から1キロほど下流の一帯には、小滝という街があったそうです。
足尾銅山の入り口の一つ「小滝坑」と共に発展した街で、その広さも銀山平の比ではなく、、、、、
学校やら病院やらもある、ピーク時は1万人もの住人がいたのだとか。
ソコも、今やダダっ広い草地が広がるだけ。。。
↓の写真のような、物騒なモノが残っていました。
鉱山で使うダイナマイトがドッサリと入れられていたのでしょうね。
↓は、どう見ても自然の地形ではありません。
鉱山で使う削岩機で、ビシバシと穴を開けたに違いありません。
果たして、何の為でしょう。
削岩機の練習の為? そうかもしれませんが、、、、
日ごろの過酷な労働のウップン晴らしだったりして。。。
↓は、まさに小滝坑の入り口でしょうか。
鉄柵と鉄扉で、厳重に締め切られていました。
それでも、、、、、
そのスキマから、オソロシいほど冷たい風が吹き出してくるんです。
どうやらこの界隈の涼しさは、地形的な要因だけでは無いみたいですね。
フツーなら、寒さは手足から先に感じるものですが・・・・・
背筋が寒くなりそうなモノが、ゴロゴロとありすぎるからかも知れませんですぞよ。
参考:銀山平キャンプ場(日光市のサイトより)
この記事へのコメント
ayashi
かなり山奥のようですね。
ここなら別世界のように涼しいでしょう。
でも帰ってきたら・・・・暑いっすよね~
おぎひま
そ、そうなんですよ!
帰ってきたら、暑いの何の。。。
ああ、あの涼しさが懐かしい!!
でも、、、足尾に住むのはキビシそうです。。。