初島は大半が2つのリゾートに占有されています。
我が家が滞在しているのは、富士急系の初島アイランドリゾート、
もう一つのソレは、リゾートトラストのエクシブ初島クラブです。
敵方(?)の施設ながら、陶芸体験に挑んだのがコチラ。
マナムスメ、ろくろ初挑戦です。
保育園での粘土遊びは全く参考にはならず、苦戦する3歳児、、、
しかし、回れば何とかなるものです。
キチンと茶碗が出来上がりました。
もちろん、大幅にセンセイやカミサンが手伝っての結果ですとも。
世界に一つしかない茶碗でゴハンを食べるのを楽しみにするマナムスメではありますが・・・
キチンと焼かれて我が家に送られて来るのは7月との事で、
果たして覚えていますでしょうか。。
【携帯版からPC版への切替はコチラ】

この記事へのコメント
レンジでチン
昭和30年代に生まれ育った僕は、両親と旅行に行った記憶なんて、殆どありません。
僕の家庭が激しく貧乏だったのかもしれませんが?
大正11年生まれの親父と旅行をしたのは、僕が30歳になる頃で、社会人になって多少の経済的な余裕が出来たときに、香港に行きました。
それまで、戦時中に軍用機しか乗ったことが無かった親父は、成田で香港行きのJALの飛行機に乗った瞬間、「おい! この飛行機は燃料臭くないな~」と言いました。
正直、僕には意味不明でした。
第2次世界戦争、親父が言う「大東亜戦争」の頃の軍用機は密閉度が低く、乗ると燃料臭かったそうです。
今日を食べることで必死で、今日のごはんを子供に食べさせることに必死だった昭和30年代では、家族で連休の度に旅行に行くなんて、想像も出来ませんでしたよ。
何せ、「玉子かけごはん」が上等なごはんでしたからね。
お子たちが、沢山、沢山の思い出が出来ることは素晴らしいことです。
ただ、それが「当り前」みたいな気持ちを持ったら、有難味は半減しまうのでしょうね。
「大人になったら、自分で稼いだら、親父と、おふくろと、旅行に行こう!」なんて気持ちが薄れちゃうのかもしれません。
あああ、余計なことを長々と大変申し訳ありませんでした。
oおぎひま
香港への飛行機、なかなか興味深く読ませて頂きました。
ワタクシが育った時代も、家族旅行は数えるほどで、
たった一泊の近場の旅行でさえ、夢のような楽しいひとときでした。
あとは、長い休みになると、母親の実家(長野県)に連れて行かれて放牧されてましたっけ。
コレは旅行とは言いませんけれど。
後には子供達だけで鈍行列車を乗り継いで長野まで通うようになり、大冒険の気分でした。
今ではそういう事はキケンだとされてしまいますが、
我が子にも、そういうチャレンジはさせたいと思う次第です。