津波の教訓

我が家の海抜は、おそらく数メートル。
東京湾で津波が発生したら、極めて危険な地域でしょう。
近くには逃げるべき高台もありませんし。。

今回の震災では、他の地区に比べて被害が小さかった地域がいくつかあった模様です。
ソレを検証し、我が地域にも応用できないでしょうか。

●ケース1:岩手県普代村の例。
読売新聞の記事で読みました。
岩手県の普代村は、高さ15.5メートルの堤防が街を守り・・・・
港は壊滅しましたが、防潮堤より陸側では流出家屋ゼロ!

この、高さ15メートルの防潮堤が計画されたのは1960年代。
その当時、ココより南側に位置する田老地区では、
「万里の長城」と呼ばれる高さ10メートルの防潮堤が、
チリ地震による津波を見事に跳ね返したという事例から・・・・
「防潮堤は10メートルで十分。15メートルなど無駄遣いだ!」
そのような批判に晒されたそうです。
しかし当時の村長は一歩も譲らず、15.5メートルの防潮堤の計画を貫きました。

結果として、それが普代村を守った訳ですね。
田老地区の「万里の長城」は、津波に乗り越えられてしまった訳ですから。
この堤防の上には多くの住民が避難したそうですが、濡れもしなかったそうです。
村長が15.5メートルに拘ったのは、
「過去に15メートルの津波に襲われた」
なるイイツタエを、固く信じた結果との事です。

先人のコダワリが、見事に街を守ったのはスバラシい。
しかし、今から我が地区に当てはめるには、簡単には行かないでしょう。

●ケース2:岩手県宮古市姉吉地区の例
これも読売新聞の記事で読みました。
この地区も、過去には何回も津波による大損害を受けていまして、
ソレを後世に伝えるべく、先人が築いた石碑に刻まれた文字
「これより下に、家を建てるな」
住民たちは、その教えを守り続けてきたそうです。

その結果、やはり港は壊滅状態となったものの、、
住宅の被害はゼロ!
襲い掛かってきた津波は、その石碑の50メートル手前で止まったそうで、
石碑を築いたご先祖様の思いを考えると、胸がすく話しじゃないですか。
(残念ながら、他地区に出かけていて被害に遭われた方はいたそうです)

しかし、、、
コレも我が地区には適用できません。
江戸川区には住むなという事になってしまいますし。。。


●ケース3:とある地区の例
これはNHKのニュースで見ましたが、地名は読み取りきれませんでした。
その地区は防潮堤が極めて低く、
「津波がきたら、最も危ない地区」
であると指摘されていたそうです。

だからこそなんでしょうね。
ハードがダメならソフトで対応、という事でしょう。
徹底的な避難訓練、避難経路の周知が行われていたそうでして、
もちろん家屋は流されながらも・・・・
100数十人の住民のうち、犠牲者は1名だったとの事です。


我が地区に適用するとしたら、コレしかありません。
長男坊と出歩いていても、常に避難できそうなビルを見つけあう日々です。

釜石市には「でんでんこ」なる教えがあるそうでして、
「津波の際は、てんでばらばらに逃げよ」という意味だそうです。
家族をほっといてでも、とにかく高台に逃げよと。
お互いを探しあってる間に津波に襲われてしまうケースは少なくなく、
それぞれがキチンと避難すれば、結果的に全員が無事、という考えなのだとか。

判りました。
マナムスメは保育園に任せましょう。
長男坊は小学校に任せましょう。
カミさんは自力で逃げてくださいな。
ワタクシは、、、、清掃工場のエントツにでも登ります。

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